馬込にまだ文士たちが集まる前から、祖父は大森・馬込の地に住み始めたようだ。三重県の千里、慈教寺の長男として生まれた祖父は、本来寺を継ぐ身だったが、東京美術学校にすすみ、文展に審査抜きで出品できるほどになったそうだ。
妻の父方の祖父母の墓が三重の魚見にあり、先般法事があったので、そのついでに祖父の実家である慈教寺に立ち寄った。慈教寺は現在、祖父の弟の子、つまり私の父の従兄弟が継いでいる。祖父の弟の服部恭寿は慈教寺を継いだだけでなく、真宗高田派の本山、専修寺の宗務総長も務めたが、昭和55年に亡くなっている。
寺には祖父が中国に渡った際に描きまとめた「長江大觀」という上下巻からなる直筆画集が残されており、それを拝見し、ビデオに収めた。もともと洋画家であったが、これは墨と水彩の作品集である。同じ内容のものが何点か存在して、当時は販売したのかもしれないが、確認できているのはこれひとつ。父も、隣りに住む叔父も実物を見たことがないとのことだった。ビデオは編集の後にYouTubeにアップしようと思う。
Yahoo!オークションで、たまに服部亮英の絵や挿絵を描いた本が出展されていることがある。
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