でも学校ではそう習わなかった? 実験で関東ローム層の赤土を水で洗うと、小さな輝石という鉱物結晶とかが出てきて、それが富士山由来だという証拠だって。高校の地学で習った。
でも、火山灰がつもると凝灰岩のようなものになるんじゃないの?、とか、なんでこんなに均一な粘土状に堆積してるの?、とか疑問に思っていた。
そうしたら、最近「フクシマサベツ」のツイッター発言でやや注目を集めてる... うん、それは失礼だな。放射能の「早川マップ」で評判を集めている、火山地質学者の早川由紀夫先生が「関東ローム層は火山灰堆積物じゃない」とツイートされてたので、その解説を拝見した。なんと、あの分厚い堆積物は、毎年春先の強風で飛んでくるチリが積もったものだというのだ。
確かに、春の風の強い日に窓を開けておくと部屋がザラザラになる。こんな、1年に0.1ミリというわずかな堆積の数万年にわたる集積結果が関東ローム層なのだそうだ。
チリが堆積する場所にはもちろん腐葉土のような黒っぽい表土があり、草木も生えている。だが、これらは分解してしまうと赤い粘土状の土しか残らないらしい。だから黒い土の下の方では今でもローム層が着々と厚みを増しているということになる。こうしたゆっくりとした堆積の結果、あのように塊状(マッシブ)のものができあがるのだそうで、逆に火山灰だったとしたら、何らかの総理構造があるはずなんだとか。
なるほどね。納得。
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/volcanology/c6.html
10/15/2011
Steve Jobsについて書いてみようかな
もう、CEO辞任のニュースが出てから「ダメそうなんだな」という認識はあったけど、やっぱり死んじゃったか。なんというか、好きなアーティストがいなくなって、もう次の作品は見られないんだなというような、さびしい気分。「悲しい」というのとは違うけど、なんか将来に対しての喪失感みたいなもの、そんなものを漠然と感じる。特に、自分の愛用品の行く末については不安感がちょっと漂う。
最初にコンピューターに触れたのは大学時代だったけど、当時は大学の情報処理センターに出向いて、授業でならったコマンドとプログラムを入力するって付き合い方だった。大学3年生のころには、バイトでNECのPC-9801ってパソコンに「松」っていうワープロと、何ていったかな?名前憶えてないんだけどカード型のデータベース・ソフトをフロッピーで立ち上げて使った。ちょっと興味をもってパソコンのカタログとか見たけど、値段見て「これはパーソナルじゃない」って思ったもんだ。同じアパートに住んでた友達がPC-8801だかを持ってたんだけど、そいつにはフロッピー・ドライブすらついてなくて、電源切ればプログラムもデータもなにもかも消えるという、超高級プログラマブル電卓みたいなもんだった。
これが1984年くらいの話だから、使ってたパソコンはみんなApple IIの成功に触発されて開発されたものだったし、AppleではすでにMacintoshがデビューしてたころなんだな。もう、そこからSteve Jobsからの影響は受け始めてたわけだ。
就職した1986年当時、コンピューター通信の会社の技術部だったのに課に1台もパソコンがないという部署に配属され、となりの課の先輩社員に教えてもらったのがTRONプロジェクトだった。で、その坂村健先生の書いた本で初めてMacintoshを知った。このときすでにSteveはAppleに居ない。そして、実際にMacintoshを初めて触ったのは翌年、課に初めてパソコンを導入するという際に稟議書を書くために後輩にパソコンの比較資料を作らせた直後だった。「なんだかMacintoshって恐ろしく何でもできますよ!」との後輩の言葉を聞いて、Canon Zero One Shopにデモを見に行った時だ。一発でその魅力にはまった。
それでも当時のパソコンはぜんぜんパーソナルな値段ではなかったので、購入までには半年ぐらい、あれこれ悩んだなぁ。まぁ、それ以来25年以上、Macユーザーなんだからすごく長い付き合いだ。正直、System 7 + PowerPCの時代、Macはやたら使いにくくなっていったので、仕事ではWindows 2000を使ってた時期がある。でも、OS Xが安定してから、また仕事もMacに戻した。今も一番使いやすい生産性の高いツールになってる。
Steve Jobsはアイディアや技術をエレガントに結びつける「触媒」であったのだなぁ、と思う。そして成果物の上手な説明者でもあった。パソコン業界はこの30年ほど、Steve JobsとBill Gatesという性格的は問題のあるふたりに牽引されて発展してきた。両者ともに偏屈に自分を押し通すような強烈な個性の持ち主だが、Billが自らもプログラマーであったのとは対照的に、Steveは純粋に「触媒」としての役割りを果たしてきたように見える。
コンピューター・オタクの技術は彼に触れてApple IIという実を結んだ。Apple IIがあったので表計算ソフトが誕生した。PARCで最先端研究していた連中とコンピューター・オタクが引き合わされてMacintoshが誕生した。MacのおかげでDTPが開花した。MIでのマイクロカーネルの研究はNextによって陽の目をみることになり、NextStepというオブジェクト志向環境があったからこそ、Berners-LeeはWWWのアイディアを簡単に構築できた。「触媒」としては極めて様々な重要な化学反応を起こしていながら、成果物はいつも他の人の手の中だ。
Steve JobsがAppleから離れている間に、NextとPixerという2つの会社の代表になっていたけど、どっちも経営はふらふらの状態だった。実際にはPixerはSteveが作った会社ではないので、Nextが彼のアイデンティティだったはず。そしてNextの開発したコンピューターとOS上でWWWとHTTPは開発され、ユーザー・インターフェースはWindows 95に模倣されるなどのインパクトは与えつつ、商業的な成功を手中にはしていない。PixerがToy Storyで商業的にようやく成功したのは、彼の実績ではない。つまりそれまでSteve Jobsがビジネス的に成功したのはApple IIだけだった。
Steve JobsはAppleに戻ってからようやく触媒が誘発した化学反応の成果を自ら受け取れるようになったが、Appleに戻れたのはGil Amellioのおかげだ。今振り返ってみると、本当によくできたドラマだ。
最初にコンピューターに触れたのは大学時代だったけど、当時は大学の情報処理センターに出向いて、授業でならったコマンドとプログラムを入力するって付き合い方だった。大学3年生のころには、バイトでNECのPC-9801ってパソコンに「松」っていうワープロと、何ていったかな?名前憶えてないんだけどカード型のデータベース・ソフトをフロッピーで立ち上げて使った。ちょっと興味をもってパソコンのカタログとか見たけど、値段見て「これはパーソナルじゃない」って思ったもんだ。同じアパートに住んでた友達がPC-8801だかを持ってたんだけど、そいつにはフロッピー・ドライブすらついてなくて、電源切ればプログラムもデータもなにもかも消えるという、超高級プログラマブル電卓みたいなもんだった。
これが1984年くらいの話だから、使ってたパソコンはみんなApple IIの成功に触発されて開発されたものだったし、AppleではすでにMacintoshがデビューしてたころなんだな。もう、そこからSteve Jobsからの影響は受け始めてたわけだ。
就職した1986年当時、コンピューター通信の会社の技術部だったのに課に1台もパソコンがないという部署に配属され、となりの課の先輩社員に教えてもらったのがTRONプロジェクトだった。で、その坂村健先生の書いた本で初めてMacintoshを知った。このときすでにSteveはAppleに居ない。そして、実際にMacintoshを初めて触ったのは翌年、課に初めてパソコンを導入するという際に稟議書を書くために後輩にパソコンの比較資料を作らせた直後だった。「なんだかMacintoshって恐ろしく何でもできますよ!」との後輩の言葉を聞いて、Canon Zero One Shopにデモを見に行った時だ。一発でその魅力にはまった。
それでも当時のパソコンはぜんぜんパーソナルな値段ではなかったので、購入までには半年ぐらい、あれこれ悩んだなぁ。まぁ、それ以来25年以上、Macユーザーなんだからすごく長い付き合いだ。正直、System 7 + PowerPCの時代、Macはやたら使いにくくなっていったので、仕事ではWindows 2000を使ってた時期がある。でも、OS Xが安定してから、また仕事もMacに戻した。今も一番使いやすい生産性の高いツールになってる。
Steve Jobsはアイディアや技術をエレガントに結びつける「触媒」であったのだなぁ、と思う。そして成果物の上手な説明者でもあった。パソコン業界はこの30年ほど、Steve JobsとBill Gatesという性格的は問題のあるふたりに牽引されて発展してきた。両者ともに偏屈に自分を押し通すような強烈な個性の持ち主だが、Billが自らもプログラマーであったのとは対照的に、Steveは純粋に「触媒」としての役割りを果たしてきたように見える。
コンピューター・オタクの技術は彼に触れてApple IIという実を結んだ。Apple IIがあったので表計算ソフトが誕生した。PARCで最先端研究していた連中とコンピューター・オタクが引き合わされてMacintoshが誕生した。MacのおかげでDTPが開花した。MIでのマイクロカーネルの研究はNextによって陽の目をみることになり、NextStepというオブジェクト志向環境があったからこそ、Berners-LeeはWWWのアイディアを簡単に構築できた。「触媒」としては極めて様々な重要な化学反応を起こしていながら、成果物はいつも他の人の手の中だ。
Steve JobsがAppleから離れている間に、NextとPixerという2つの会社の代表になっていたけど、どっちも経営はふらふらの状態だった。実際にはPixerはSteveが作った会社ではないので、Nextが彼のアイデンティティだったはず。そしてNextの開発したコンピューターとOS上でWWWとHTTPは開発され、ユーザー・インターフェースはWindows 95に模倣されるなどのインパクトは与えつつ、商業的な成功を手中にはしていない。PixerがToy Storyで商業的にようやく成功したのは、彼の実績ではない。つまりそれまでSteve Jobsがビジネス的に成功したのはApple IIだけだった。
Steve JobsはAppleに戻ってからようやく触媒が誘発した化学反応の成果を自ら受け取れるようになったが、Appleに戻れたのはGil Amellioのおかげだ。今振り返ってみると、本当によくできたドラマだ。
7/25/2011
LionでTiger ServerのAFPにつながらない
難しい。MacBook ProをLionにしたら、Tiger ServerのAFP(ファイルサーバー)へのログインができなくなった。Snow Leopardからは問題なく接続できるのに。AFPといえばAppleのプロトコルなのになぜ?
そんなわけでちょっと調べてみたところ、LionではAFPの認証(uam)にDHX2という手順を使うようにして、古いDHCAST128という手順をデフォルトで無効にしたのだそうだ。これによって、たとえばLinux上でnetatalkを動かしてファイルサーバーにしている場合にもLionからログインできなくなったらしい。
サーバー側がDHX2に対応すればクライアント側では何もする必要がない。netatalkでもDHX2を導入するためのパッチだかアドオンが出ているようだ。LeopardやSnow Leopardもサーバー側でDHX2を持っているらしい。Tiger側でDHX2を有効化できるならば、クライアント側はいじる必要がないのでそれが一番いい。しかし、Tigerについてはちょっと情報が得られなかった。
Appleのサポートでは、Lion Serverに関するドキュメントに記述があり、サーバー側でDHCAST128を有効にする方法とクライアント側でDHCAST128を有効にする方法が解説されている。それによれば、/Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient.plist で定義をしてやれば良いようだ。確認してみると、Tigerには当該ファイル(ドメインというのか?)が存在していない。つまり、Tiger側では認証方式を設定する手立てがないということだ。ということは、クライアントのLion側でDHCAST128を有効化するしかない。
まず、Lionの/Library/Preferences を誰でも書き込めるようにパーミッションを変更する。
次に、com.apple.AppleShareClient.plist に「無効化する認証方式」の宣言を書き込む。DHCAST128はこの宣言がないとデフォルトで「無効」になっているが、宣言をして「無効」から除外するということだ。
これで、宣言した3つの方式以外が「有効」になるはずだ。Lionをリブートして、Tiger ServerのAFPに接続ができた。
ちなみに、DHCAST128を無効にするときには、
として宣言に追加すればよいようだ。
そんなわけでちょっと調べてみたところ、LionではAFPの認証(uam)にDHX2という手順を使うようにして、古いDHCAST128という手順をデフォルトで無効にしたのだそうだ。これによって、たとえばLinux上でnetatalkを動かしてファイルサーバーにしている場合にもLionからログインできなくなったらしい。
サーバー側がDHX2に対応すればクライアント側では何もする必要がない。netatalkでもDHX2を導入するためのパッチだかアドオンが出ているようだ。LeopardやSnow Leopardもサーバー側でDHX2を持っているらしい。Tiger側でDHX2を有効化できるならば、クライアント側はいじる必要がないのでそれが一番いい。しかし、Tigerについてはちょっと情報が得られなかった。
Appleのサポートでは、Lion Serverに関するドキュメントに記述があり、サーバー側でDHCAST128を有効にする方法とクライアント側でDHCAST128を有効にする方法が解説されている。それによれば、/Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient.plist で定義をしてやれば良いようだ。確認してみると、Tigerには当該ファイル(ドメインというのか?)が存在していない。つまり、Tiger側では認証方式を設定する手立てがないということだ。ということは、クライアントのLion側でDHCAST128を有効化するしかない。
まず、Lionの/Library/Preferences を誰でも書き込めるようにパーミッションを変更する。
$sudo chmod o+w /Library/Preferences
次に、com.apple.AppleShareClient.plist に「無効化する認証方式」の宣言を書き込む。DHCAST128はこの宣言がないとデフォルトで「無効」になっているが、宣言をして「無効」から除外するということだ。
$sudo defaults write /Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient afp_disabled_uams -array "Cleartxt Passwrd" "MS2.0" "2-Way Randnum exchange"
これで、宣言した3つの方式以外が「有効」になるはずだ。Lionをリブートして、Tiger ServerのAFPに接続ができた。
ちなみに、DHCAST128を無効にするときには、
sudo defaults write /Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient afp_disabled_uams -array-add “DHCAST128″
として宣言に追加すればよいようだ。
7/01/2011
液体ブルーレットはなんでいっきに減るのか?
なんか損をしているような気になる。最初、液はちっとも減っていかないのに、ある日突如、空になるんだもん。台風とか低気圧が来ると顕著に減ってたから、これは容器の上部の空気の圧力の関係だな、とはうすうすわかってた。だけど、あんなに残ってた液が全部出ちゃうのはどうにかなんないのかな。
と思って分解して仕組みを調べてみた。
まず、容器(タンク)の部分。これは底にひとつ穴があいているだけ。
容器の受け部分。容器の底にに突き刺すようになってる部分は、いかにも秘密がありそう。
外してみた。
それほどメカニックな構造ではなく、両脇の羽根状の部分に穴が空いている。容器への接続部分はごく小さい穴が空いている。どうやらこれは水を吸い上げるための形状のようだ。この部品をとりあえずここでは「羽根」と呼ぼう。
こうして次のようなことが解明した。
この繰り返し。中の液は次第に水に置き換わっていくため、最初のうちは減りが少ないように見えるのだ。ただ、水といっしょに空気も次第に容器に入り込む。空気の量が多くなれば温度差による膨張収縮の度合いも増すことになる、外気圧の影響も受けやすくなる。それに加えて、液は次第に粘性の低い水に置き換わるので穴から流れ出やすくなる。で、最後はドバーっと流れ出ておしまい、というわけだ。
まぁ、損はしてなかったんだな。
と思って分解して仕組みを調べてみた。
まず、容器(タンク)の部分。これは底にひとつ穴があいているだけ。
容器の受け部分。容器の底にに突き刺すようになってる部分は、いかにも秘密がありそう。
外してみた。
それほどメカニックな構造ではなく、両脇の羽根状の部分に穴が空いている。容器への接続部分はごく小さい穴が空いている。どうやらこれは水を吸い上げるための形状のようだ。この部品をとりあえずここでは「羽根」と呼ぼう。
こうして次のようなことが解明した。
- 容器にはかなりドロッとした粘性の高く、水よりも重い液体が入っている。
- トイレを流すと容器にかかった水の一部は「羽根」の内側に入り込む。
- タンクに水がかかることで、中の空気が収縮する。
- 空気が収縮した分、羽根にたまった水が吸い上げられ、粘性の高い液の中を泡のように上昇する。
- 水がかからなくなると容器内の空気は膨張し、水よりも重い液だけが雫となって落ちる。
この繰り返し。中の液は次第に水に置き換わっていくため、最初のうちは減りが少ないように見えるのだ。ただ、水といっしょに空気も次第に容器に入り込む。空気の量が多くなれば温度差による膨張収縮の度合いも増すことになる、外気圧の影響も受けやすくなる。それに加えて、液は次第に粘性の低い水に置き換わるので穴から流れ出やすくなる。で、最後はドバーっと流れ出ておしまい、というわけだ。
まぁ、損はしてなかったんだな。
6/28/2011
MacのDockが暴走してたらParallelsを疑え
ふと気がつくと、MacのDockがCPUコアのひとつを100%消費している。明らかに暴走。ググってみたら、どうやらParallels 6とOS X 10.6.8との組み合わせで起きる問題らしい。
Parallelsを起動して、各仮想環境の"Configure"を開き、"Options"タブをクリック。"Applications"で表示されている中の "Show Windows applications folder in Dock" のチェックをはずしておく。
これでParallelsを終了すると、まだDockは暴走したまま。ここで、Macを再起動するか、アクティビティ・モニターを使って"Dock"を強制終了すれば、Dockが再起動されて暴走はおさまる。
2011年7月25日 追記
この問題は、Parallels 6のbuild 12092で修正されたようだ。最新版をインストールすれば解決する。
Parallelsを起動して、各仮想環境の"Configure"を開き、"Options"タブをクリック。"Applications"で表示されている中の "Show Windows applications folder in Dock" のチェックをはずしておく。
これでParallelsを終了すると、まだDockは暴走したまま。ここで、Macを再起動するか、アクティビティ・モニターを使って"Dock"を強制終了すれば、Dockが再起動されて暴走はおさまる。
2011年7月25日 追記
この問題は、Parallels 6のbuild 12092で修正されたようだ。最新版をインストールすれば解決する。
5/16/2011
「東海地震発生確率 30年以内に87%」の解釈は合っているのか?
とても勘違いが多い。地震はサイコロを振ったときの目の出方の予想とは異なる。東海地震が将来30年間に起きる確率が87%という場合、複数の札の中から毎年1回30年にわたり引いたときに、当たりの札を最後まで引かない確率が13%だ、と考えるのは間違いだ。なぜなら、このモデルで考えれば、1年後でも5年後でも10年後でも、その後30年内の発生確率は87%のままだ。どの1年を切り取っても、地震の発生確率はと6.6%にしかならないということになる。
地震はそのメカニズムから、前回発生してからの年数によって発生の危険性が増すもので、その発生は震源地ごとに周期的だ。なので、その発生の可能性は、時間軸を横にとってFig.1のようになるはずだ。これは、ティーグラウンドから一人のプロ・ゴルファーがボールを同じクラブで同じように打ったときに、飛距離がどのように分散するかを観測したときと似ている。いつ地震が発生するかは、打ったボールの中にたったひとつ印の付いているボールをティーグランドから順番に確かめて見つけることと同じだ。
ここで重要なのは、地震は100%起きるということだ。ゴルフボールの例で言うと、ボールの飛距離には限界があって、そこに達するまでに印のついたボールは必ず見つかる。
さて、Fig 2を見ていただきたい。現在をt0とすると、過去に地震が起きてからt0までに次の地震の起きた可能性はあったとしても、起きていないのだからそれは将来の可能性には影響がない。つまり将来ある時期txまでに地震の起こる可能性は、
A ÷ (A+B) × 100 %
である。txを30年後としたのが「確率87%」の意味するところだ。当然だが、txを小さくとるほど、発生確率は低くなる。
Fig. 2の例では発生可能性のピークは今よりも将来のほうが高いことになる。しかしFig.3のように、t0がこの発生可能性のピークよりも後だった場合、地震の危険性はむしろ今のほうが将来よりも高い。
わかるだろうか? t0の時点で1年以内に発生する確率のほうがその後の1年に発生する確率より高いのだ。
そして、分母の(A+B)はどんどん小さくなり、どんなにtxを短くとっても発生確率は100%に近づくことになる。
ここまでを理解すると、竹中平蔵氏のこのツイート:
30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。
と、それを批判する多田光宏氏のブログ記事:
竹中平蔵氏のための確率論入門
は、ちょっと滑稽である。というか、t0がどこに置かれているのか議論していない点で、危機への認識が全く甘い。今後30年間は、明日より今日の方が地震発生のリスクが高いかもしれないのだ。
地震はそのメカニズムから、前回発生してからの年数によって発生の危険性が増すもので、その発生は震源地ごとに周期的だ。なので、その発生の可能性は、時間軸を横にとってFig.1のようになるはずだ。これは、ティーグラウンドから一人のプロ・ゴルファーがボールを同じクラブで同じように打ったときに、飛距離がどのように分散するかを観測したときと似ている。いつ地震が発生するかは、打ったボールの中にたったひとつ印の付いているボールをティーグランドから順番に確かめて見つけることと同じだ。
ここで重要なのは、地震は100%起きるということだ。ゴルフボールの例で言うと、ボールの飛距離には限界があって、そこに達するまでに印のついたボールは必ず見つかる。
さて、Fig 2を見ていただきたい。現在をt0とすると、過去に地震が起きてからt0までに次の地震の起きた可能性はあったとしても、起きていないのだからそれは将来の可能性には影響がない。つまり将来ある時期txまでに地震の起こる可能性は、
A ÷ (A+B) × 100 %
である。txを30年後としたのが「確率87%」の意味するところだ。当然だが、txを小さくとるほど、発生確率は低くなる。
Fig. 2の例では発生可能性のピークは今よりも将来のほうが高いことになる。しかしFig.3のように、t0がこの発生可能性のピークよりも後だった場合、地震の危険性はむしろ今のほうが将来よりも高い。
わかるだろうか? t0の時点で1年以内に発生する確率のほうがその後の1年に発生する確率より高いのだ。
そして、分母の(A+B)はどんどん小さくなり、どんなにtxを短くとっても発生確率は100%に近づくことになる。
ここまでを理解すると、竹中平蔵氏のこのツイート:
30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。
と、それを批判する多田光宏氏のブログ記事:
竹中平蔵氏のための確率論入門
は、ちょっと滑稽である。というか、t0がどこに置かれているのか議論していない点で、危機への認識が全く甘い。今後30年間は、明日より今日の方が地震発生のリスクが高いかもしれないのだ。
4/28/2011
金を集めてから商売を考える
ホリエモンがいよいよ収監となる事態にあたって、Twitterにつぶやいたことなどをちょっとまとめてみる。
ライブドア事件、霞ヶ関との繋がりのある企業とない企業ととの間で、処罰の不公平感を感じずにはいられないが、実業がないままにあれよあれよと金をぶん回すようになっていった過程は目にあまるところがあった。ライブドアがまだオン・ザ・エッジだった頃から、プレスリリースをこまめに打つ会社だな、と思っていた。確かEudora Proの販売権を獲得したり、売れそうではないけれどよく名の知れた商品を手中に入れていった。Lindowsもそうだ。旧「ライブドア」も商売として破綻してたプロバイダーだった。
とにかく、名前は通っているけど売れてなさそうな商品、どうやって儲けるのかわからないサービス群が揃っていたので、会社としてやっていけてるのか不思議だったが、秘密は株のテクニックにあった。株価は期待値で膨らむものなので、ニッポン放送を買収しようとしたとき、いよいよバブルではなく、本当に儲かるビジネスの「実」の部分が欲しくてしょうがないのだな、と思った。
ライブドアの成長の手法は「金を集めてから実際の商売を整える」という感じに見えた。当時「なるほどなー、確かに金がなければ大きな商売はできないもんな」と感心した。それにしても、特に何もイノベーションがないウェブ制作会社にしては異様な成長ぶりだった。このときの日本の投資家の金の出し方に疑問を持った。アメリカでは金はなくてもユニーク技術やアイディアに投資がされるが、オン・ザ・エッヂにそんなユニークさはなかった。結局、日本の投資家は勝ち馬に乗ろうとする心理だけで金を動かしている印象が大きい。事業の中身なんか関係ない。ホリエモンはそのあたりをよくわかってたんだろう。
ホリエモンはその成功を今も引きずっているように見える。収入は激減してるであろうが今も六本木の高級マンションに住み、Twitterやメルマガで宇宙開発の夢を語るのは、周囲の期待感を金に変えていこうというオン・ザ・エッジ時代と全く同じ手法だ。実情はメール・マガジンや自著の売上でなんとか回しているんだろう。あまり筋の良さそうでないビジネスにも手を染めている。ホリエモンは投資家にとっては株価を吊り上げてくれる装置でしかない。所詮その役割としての「存在」なので、その装置が既存の本物の利権を奪いにかかると、突如国を挙げて潰しにかかる。しかし旧来の利権に属する企業は、同じような不祥事があっても国を挙げて守るのだから、ゆがんだ社会構造である。
ホリエモンがインタビューで「ベンチャーなんてどれも似たようなもんで、どこかいかがわしい部分がある」と言っていたが、そのとおりだろう。社会は「コンプライアンス」を歪めた形で解釈し、新興企業つぶしに悪用してはいまいか。コンプライアンスは本来、霞が関と癒着のある既得権益に対して適用されるべきものだと思うが、逆になっているように思う。
ライブドア事件、霞ヶ関との繋がりのある企業とない企業ととの間で、処罰の不公平感を感じずにはいられないが、実業がないままにあれよあれよと金をぶん回すようになっていった過程は目にあまるところがあった。ライブドアがまだオン・ザ・エッジだった頃から、プレスリリースをこまめに打つ会社だな、と思っていた。確かEudora Proの販売権を獲得したり、売れそうではないけれどよく名の知れた商品を手中に入れていった。Lindowsもそうだ。旧「ライブドア」も商売として破綻してたプロバイダーだった。
とにかく、名前は通っているけど売れてなさそうな商品、どうやって儲けるのかわからないサービス群が揃っていたので、会社としてやっていけてるのか不思議だったが、秘密は株のテクニックにあった。株価は期待値で膨らむものなので、ニッポン放送を買収しようとしたとき、いよいよバブルではなく、本当に儲かるビジネスの「実」の部分が欲しくてしょうがないのだな、と思った。
ライブドアの成長の手法は「金を集めてから実際の商売を整える」という感じに見えた。当時「なるほどなー、確かに金がなければ大きな商売はできないもんな」と感心した。それにしても、特に何もイノベーションがないウェブ制作会社にしては異様な成長ぶりだった。このときの日本の投資家の金の出し方に疑問を持った。アメリカでは金はなくてもユニーク技術やアイディアに投資がされるが、オン・ザ・エッヂにそんなユニークさはなかった。結局、日本の投資家は勝ち馬に乗ろうとする心理だけで金を動かしている印象が大きい。事業の中身なんか関係ない。ホリエモンはそのあたりをよくわかってたんだろう。
ホリエモンはその成功を今も引きずっているように見える。収入は激減してるであろうが今も六本木の高級マンションに住み、Twitterやメルマガで宇宙開発の夢を語るのは、周囲の期待感を金に変えていこうというオン・ザ・エッジ時代と全く同じ手法だ。実情はメール・マガジンや自著の売上でなんとか回しているんだろう。あまり筋の良さそうでないビジネスにも手を染めている。ホリエモンは投資家にとっては株価を吊り上げてくれる装置でしかない。所詮その役割としての「存在」なので、その装置が既存の本物の利権を奪いにかかると、突如国を挙げて潰しにかかる。しかし旧来の利権に属する企業は、同じような不祥事があっても国を挙げて守るのだから、ゆがんだ社会構造である。
ホリエモンがインタビューで「ベンチャーなんてどれも似たようなもんで、どこかいかがわしい部分がある」と言っていたが、そのとおりだろう。社会は「コンプライアンス」を歪めた形で解釈し、新興企業つぶしに悪用してはいまいか。コンプライアンスは本来、霞が関と癒着のある既得権益に対して適用されるべきものだと思うが、逆になっているように思う。
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