6/22/2016

「プレートテクトニクスの拒絶と受容」を読んだ

プレートテクトニクス、あるいは大陸移動説、マントル対流といった用語は、1982年に大学入学した私などの世代にとっても、地球科学の基本的概念としてよく知られた言葉だ。小学生高学年のころに大流行した小松左京の「日本沈没」のおかげで、東大地球物理学教授の竹内均の名前とともに世間一般に知られるようになり、私たちが大学で地球科学を学びたいと思うきっかけにもなったものだ。

ところが当の大学の地質学教室では、「プレートテクトニクスはまだ確定した理論ではない」として、古い「地向斜造山論」が80年代半ばまでまかり通っていたというのだ。世界の地球科学の学者間で、プレートテクトニクス理論がスムーズに受け入れられたのとは対照的に、日本でのパラダイムシフトが遅れた原因として「地団研」の存在があったと、泊次郎「プレートテクトニクスの拒絶と受容」は指摘している。私はこの本を読んで、当時の地質学をめぐる環境についてどれだけ無知であったかを知り、また、科学者が合理性から逸脱して血迷ってしまう要因についても考えさせられた。

地団研:地学団体研究会とは、学会であり活動体でもある。目指したのは「科学の民主化」であり、「民主化」とは「レーニン・マルクス主義、あるいはスターリン主義」に基づく、プロレタリアに牛耳られた研究組織からの開放であり、強力なリーダーの統率による団体研究の達成である。この団体の活動には功罪があり、研究費予算の配分、日本列島の効率的な地質研究、学校教育における地学の普及などに成果をあげた反面、地質学研究に関して鎖国的な対応とこの著者の言うところの歴史法則主義への固執という負の側面があった。

プレートテクトニクスの概念が誕生する前、海底の堆積物がアルプスやヒマラヤのような高所にまで押し上げられる原動力は謎であった。そこで提唱されていたのが「地向斜モデル」と「地球収縮説」だ。大陸のヘリにくぼみができ十分な堆積物が溜まる。ある時期に地球が冷えて収縮すると、地球表面にはシワがよって堆積物が山となって盛り上がる、という説である。現代の地球科学において(これは私が学生だった1982年頃でさえすでにそうであったはずだが)、「現在地球で起きていることは過去にも起きていたことであり、過去に起きたことは現在も引続き起こることである」という考え方が基本スタンスになっている。ところが、「歴史法則主義」はそのように考えない。地球は歴史を積んで現在に至っているのであり、事象は「始まりがあり、継続期間があり、そして終息する」というスタンスをとる。歴史法則的観点から解釈すれば、堆積物は長い期間地向斜が沈降しながら厚みを増やし、地球規模で造山活動が始まると隆起し、やがてその活動が終わると侵食されていくというサイクルを想定した。地団研では日本列島の地史を組み立てるにあたって、地向斜は花崗岩の浮力により独自に隆起するというモデルを用いてはいたが、「アルプス造山運動」という用語もしばしば見受けられ、地球規模の造山活動という観点は捨てられなかったようだ。そして現在見られる高い山は、古生代や中生代に起きた過去の造山運動の遺物であると考えるのだ。

確かに高校までの教科書にはこのようなことが書いてあったような気がする。そして、火山についても「活火山」「休火山」「死火山」というような区別をしていた。これも始まりがあり、継続期間があり、終りがある、という歴史法則的な見方と言える。

実際にはそうじゃない。高い山は現在も隆起しているから高い。火山として形をなしているものは現在も活動中だ。その現実を見事に説明できたのがプレートテクトニクスのモデルであり、1960年代の半ばには世界中で受け入れられ始め、そのモデルに基いてさまざまな検証がなされてきた。驚くべきはこの新しいパラダイムに対する地団研のとってきた態度だ。なんと1980年代も半ばとなるまで、かたくなに独自に発展した地向斜造山論に固執し続けたのだ。

私が高校生のころに読んだ「野尻湖の発掘」「化石」「日本列島」などの著者、井尻正二や湊正雄、大学受験の地学の参考書の著者、牛来正夫は、いずれも地団研の大御所だ。特に牛来先生は東京教育大学の岩石学の教授だった。東教大が筑波移転となる際、牛来先生は移転を拒んだらしい。もっとも東教大の筑波移転は、左翼にとって当局による不当国家権力行使だったので拒むのも無理からぬことだが、そのおかげで私は地団研と系統の異なる、東大系統の岩石学の教育を受けることとなった。牛来先生は初源マグマの結晶分化モデルにも疑問を持っておられたようだし、その後「地球膨張説」など唱えていたそうで、それを思うと私は学問的に幸いだった。

しかし、何が科学者の目をここまで曇らせるのだろう。プレートテクトニクス以前、地向斜造山論はきわめて論理的に説得力のある説であり、それに基いて日本の地質や地史を読み解くは先端であり合理的だったのは間違いない。しかし、一旦それで体系が仕上がってしまうと、新しいもっと合理的なパラダイムが登場した際に破棄できなくなってしまうのは純粋に心情的な側面に見える。そしてその心情的な部分を後押しするのが「思想」なのだろう。地団研の場合、マルクス・レーニン主義、あるいはスターリン主義がそれだ。(やがてその左翼思想もソ連の崩壊とともに瓦解することになるが。) 自然科学は合理性を求めるものだが、人間はなかなかそうはいかない。左翼思想も戦後においては先端思想であり、東京でも革新都知事の時代があった。人の生き方に直結する分、若いころに染まった思想はなかなか捨てられない。これが老害だ。組織は人が作るもの。組織が育つにつれて古い人は権威となり、そして組織は老害によって合理性を失って行く。自然科学といえども研究をする主体が人間であるかぎり、その人間性の束縛から逃れられないということだ。

ところで、私が地球科学を学びたいと思ったきっかけになったのは「日本沈没」だけではない。それよりももっと前に父が与えてくれた一冊の絵本、バートンの「せいめいのれきし」との出会いが大きい。宇宙、太陽系、地球の誕生から、様々な生きものが地球上に現れては消え、そして人類の時代になり、自分の祖先から現在の「私」の生活に至る壮大な物語だ。1962年に初版となるこの絵本、実は地球収縮説で山のでき方が説明されていた。私の生まれた年だ。いしいももこの訳で日本で出版されたのが1964年。この時点でプレートテクトニクスはようやく有力なモデルとして一部の注目を集めるようになった。そして10年そこそこのうちに小松左京が日本沈没を書くことになる。急激なパラダイム・シフトだったわけだ。それと同時期に、日本の地質学者は地向斜造山論に基いく日本の地史の集大成を作り上げていたのだと思うと、人間のいとなみの虚しさすら感じる。

ちなみに、昨年、「せいめいのれきし」は最新の地球科学の学説を(ようやく)取り入れて改訂版が出版された。原著はとっくのむかしに(おそらく1990年代に)改訂されてたので、こんなところでも日本はプレートテクトニクスの受容が遅れてしまってた。ようやくの改訂がうれしくて、親戚や知り合いの子供に贈った。この本をきっかけに、地球科学に興味をいだいてくれると嬉しいな。

1 件のコメント:

  1. 日本の地質学の近年の歴史が分って大変参考になりました。
    未だにルイセンコ学派の亡霊が跋扈しているのですね。

    私は団塊の世代の尻尾頃1950年の生まれだったのですが、、
    既に団塊の世代がほとんどの教室を占有してしまったので、
    物置に使われていた校舎もどきや図書室を教室にあてがわれました。
    もう少し後の世代は新しい校舎やプレハブ校舎の教室で学んだので
    一番割を喰ってしまったのです。
    図書室が教室なのでずーっと百科事典などを読んでいて知識の吸収には不便しませんでした。
    そこで考えた色々な疑問を教師に質問しましたが教師の不勉強に呆れてしまいました。
    しかも、体罰や強制の横行です。今では違法行為ですね。
    同様に、中学生になって社会の教育も中年教師のマッカーサー賞賛と、
    新米民青同盟左翼教師の「北朝鮮は工業国で地上の楽園論、
    反対に南朝鮮は農業国で後進国」の様な出鱈目な話ばかり。
    科学でも、プレートテクトニクス理論などは社会に出てから知った有様です。
    これでは、今の若者に科学や研究で活躍するのを期待をするのも無理かもしれません。
    何しろ、文系の権威主義者や、科学や学問よりも人を出し抜いて利用するだけの
    金儲けの亡者がもてはやされていますから。
    青色発光ダイオードの中村教授にも日本は冷たかったです。
    スタッブ細胞事件の時もNHKやマスコミは科学と関係の無い割烹着や
    ピンクの研究室ばかり取り上げてアイドル扱いして、その後に地獄に落とすような報道ばかり。 
    何が正しいかと云う公平な報道は期待できません。 
    一方、昨今の地球温暖化のCO2犯人説の流布。
    最近、お調子者の馬鹿なスエーデンの女子高生の行動を持ち上げて世界中の馬鹿者を騙している愚。 
    温めたビールから盛んに泡が出る様に温度が上昇すればCO2は増加します。 
    海水が温まれば大気中のCO2が増加するのは当たり前です。
    過去の気温とCO2の変化を見れば気温の上昇に遅れてCO2が増加した事実が分かります。
    第二次大戦後世界中のエネルギー使用量が急増した時、1980年代までは地球の平均気温は
    それ以前より低下していました。その後も気温は変動しているだけです。
    マスゴミは気温が上がった時だけ騒いで、冬の低温や1990年代前半の夏の低温でコメが不足して
    輸入米を増やしたことなど忘れたふりをしています。
    IPCCは国連の政治団体です。今やCO2削減はビジネスと切り離せない利権になってしまい
    流布推進することが良い事になってしまいました。
    でも、科学的に確認され証明されている地球の歴史は地球が出来た頃の高熱で炭素は全て酸化して
    4気圧以上の大気に90%以上CO2と窒素が10%程度あったことが分かっています。
    地球の温度が低下して水蒸気が雨になって千年以上降り注ぎ海ができて微生物が発生して、
    光合成生物の増殖活動でCO2は酸素と植物などの生物やその死骸の石炭や原油や天然ガスになりました。
    途方も無い光合成の結果徐々に減少したCO2は現在たったの0.04%(400PPMですよ!)になってしまいました。
    一億年前に恐竜が跋扈していた頃のCO2は1%程度でその為大型の植物が繁茂して酸素は30%も有りました。
    光合成される酸素を増やすにはCO2と植物などの光合成する生物を増やさなければなりません。
    ビニールハウスで野菜や果物を育てる時にCO2を何倍も追加して生産量を何倍も増大させることが行われている程です。
    もし、CO2で温暖化するならば高温の古代地球が冷えて海が出来る訳ありません。 
    CO2温暖化論者やIPCCは現在の0.04%(400PPM)のCO2が0.01%増えて0.05%になると大気温度が数度上昇すると云っています。
    もしそれが正しいならばCO2が1%の時は上記の百倍増加する訳で気温は数百度上昇することになります。
    巨大恐竜の焼肉出来上がりですね。海も全て水蒸気になって干上がって地球は砂漠しか無かったことになります。
    そもそもそれ以前は更に十倍以上もCO2濃度が高かったので生物は発生できなかったことになりますよね。
    正しい見解は雲の量が大気温度を変動させると云うことです。
    太陽系外から飛来する宇宙線が核となって大気中の雲の出来る量を変動させます。
    太陽活動が活発化すると太陽風が強くなって宇宙線を吹き飛ばし太陽系内の宇宙線を減少させます。
    すると雲の発生量は減少して気温が上昇すると云う理論です。
    CO2温暖化宣伝以前は、太陽活動と大気温の相関関係は常識でした。 
    大気の平均気温が上昇すると南極の氷が減るとか出鱈目です。南極は一年中氷点下なので
    平均気温が上がって水蒸気が増えると積雪が増えて氷の量は増大します。
    北極の氷が減ると海面が上昇してツバルが沈むなんてアルキメデスの法則も知らない文系の無知です。
    そもそも、人間は他の生物と同様に炭素:Cと水素:Hと酸素:Oが主成分で出来ています。
    脱炭素と云うのは人間も消えてなくなれと云っているのと同じです。
    科学が進歩するのと逆に、ハリポタの様な魔法の出鱈目が流行ったり、
    IPCCが嘘のCO2温暖化言い出して強制したり。
    いったい人間はどこまで愚かなんでしょうね。

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