5/08/2010

原 松蔭寺のすり鉢松

祖父の亮英が、東海道五十三次漫画絵巻で描いた、原 松蔭寺の鉢懸松。いったいなんだろうと思っていたのだけど、このゴールデンウィークに伊豆と田貫湖に出かけるついでに、絵に描かれた現地を訪ねてみた。

全く事前の勉強なしに松蔭寺に到着すると、そこにはりっぱな松が何本もある、そして門やお堂もとても古くて威厳のある佇まいのお寺だった。ちょうど、何か新築の建物の工事の最中だったが、入り口の観光看板にもなにやら地元を代表するお寺であることがうかがえる。

それで、みまわしてみると、ありました巨大な松。避雷針まで取り付けてある。その避雷針の横に、なにか茶色のボウルのようなものがかぶせてある! なるほどこれかぁ、鉢懸松は。でも5月というのに葉が茂ってないですねぇ。で、なんでまた鉢がかぶさっていて、祖父はそれを画題に選んだのでしょう。

実はこれ、地元では大変有名なエピソードがありました。江戸時代、今から300年程前、この松蔭寺に白隠慧鶴というお坊さんがいたそうな。松蔭寺は禅宗の寺で、白隠さんは禅宗の中興の祖とされるほど高名な方。その白隠さん、大名からもらったいくつかのすり鉢のひとつを、台風で折れてしまった松に水が入って腐らないようにかぶせてやった。すると松も元気にすり鉢をかぶったまま育っていったというお話。(だいぶはしょってる。)

松は地元で「すり鉢松」として名が通っているようで、原には「白隠すり鉢もなか」というものまであるんだって。

今現在、松がかぶっている鉢は当時のものではなく、昭和60年に懸けられたものだそうだが、祖父たちがここを訪問したのは大正10年、そのころの鉢は江戸時代のものだったのでしょうか。

当日はあいにく富士山が雲の中。でもこの後、田貫湖に着くと富士山が雄大な姿を見せてくれた。

次の日は雨。静岡県立美術館に行って、再び伊藤若冲の絵を見てきた。若冲も白隠慧鶴とほぼ同時代の人。今回の小旅行は江戸時代へのトリップだった。

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