2/28/2013

単純な描写だけでいい。

最近の歌謡曲とかポップスとかの歌詞、えらく感情込めまくってたり、説教がましかったりして面倒くさいなぁ、っていうのが多い。そんなこと思ってたら、最近出会ったふたつの作品、ぐっときた。

ひとつは絵本「ころころころ」。かかりつけの医院で、となりの席で待っていた若いおかあさんがこどもに読んでやってた。色のついた玉がたくさんころがって行くだけ。文章も「ころころころ」ばっかり。どのページも玉がころがってるだけの絵。ころころころ。それだけ。すぐにAmazonで注文して手に入れてしまった。

もうひとつは上野茂都。上野茂都氏はゲルニカの上野耕路氏の弟とのことで、「のぼうの城」のサントラに名前があったので初めて知った。その2001年のCD「あたま金」。三味線の弾き語りが基本で、歌詞は詰将棋やら煮魚の作り方とか。

どちらも単純なのに、いろんな刺激がある。

2/19/2013

amavisの調子がおかしい

2月15日くらいからか、Tiger Serverのメールの調子がおかしい。たまに来ないメールがある。ps xaでタスクを見ると、なんだかclamavの挙動が変。mail.logにも"transport is unavailable" みたいな表示がある。

なんだかよくわからないけど、amavisとclamavとがおかしなことになっているようなので、管理ツールでメールのフィルターを止めてみた。メールは送受信がスムーズにはなったが、なんだかキューに溜まったメールが108つもあり、そいつらが出て行かない。

sudo postsuper -r ALL

ってコマンドでキューを処理させて、とりあえず動かしておく。

8/09/2012

麻原彰晃にとってサリンテロは修行だったんじゃないか

森達也の「A3」を読んで、そんなことを思った。

超絶にたいくつなほど長い本だ。しかも冗長。数々の取材と著者の感想を、言葉の限りを尽くしてまくしたてるように書き綴っている。で、全編を通じて主張しているのは「麻原はすでに正常じゃなくなっているのに、なぜ治療もせずに裁判を続けているのだ。おかしいだろ」ってこと、つまり社会批判だ。読むのに時間ばかりかかったが、結局は主題はそこ。

それでも著者が取材したりオウム信者との手紙のやりとりから見えてきたのは、「麻原彰晃ってけっこう一生懸命に宗教に取り組んできたんだな」っていうことだ。史上類を見ないサリン・テロ事件も、結果の凶悪性とは裏腹に、本人にとって見ると「真面目」に救済達成のために取り組んだカルマのように見える。

オウムは様々なオタク要素の集合体である。ヨガ、超能力、アニメ、兵器、パソコン、それにノストラダムス、フリーメイソン... それらを肯定的に取り込んでいるところが特徴的だ。信者は麻原にマインド・コントロールされていたとの解釈がされているが、麻原自身も含めると、彼らを洗脳したのはテレビと言っていい。

そんなテレビ世代のオタク教団は、コスプレ的な「真似事」はできても、テロ組織のように緻密な計画ができてたようには見えない。彼らの行動は目の前に出された課題に対して修行として取り組むという態度に基づいている。言ってしまえば行き当たりばったりだ。その行動パターンは、麻原自身も例外ではなかった。

キーワードは「マハームドラー」だろう。本書ではカタカナしか記述がないが、「Mahamudra:大手印」と漢訳される。(音写では「摩訶母捺囉:まかぼだら」) チベット密教の長い歴史の中で多様な解釈がなされるようだが、浅学のため正確にはわからない。ただしオウム真理教内では執着を断つために修行課題と捉えられてたようだ。

麻原は信者の絶対的な指導者だったので、弟子に対して様々なマハームドラーを課していた。しかし、最終解脱者を標榜する麻原自身には、マハームドラーを課すべき指導者はいない。よって彼は自分の身に降りかかる事象そのものを、自身のマハームドラーと解釈したのだろう。だから、オウムの行動パターンはすべて対処的であって、計画的・戦略的ではない。

誤解を恐れずに言えば、オウムは善意の人間の集団だ。究極的目標は「救済」であって金銭的・権力的野望ではない。その善意の集団がこれだけ凶悪な事件を起こしすに至ったことを本当に理解しようとするならば、背後にある密教的な世界観を十分に(しかも客観的な眼をもって)勉強しなければとても無理だ。仮に麻原が法廷でしゃべれたとしても、彼の思考過程を正しく解釈はできないだろう。

仏教の「悟り」とは、あらゆる執着から解放されることだという。「仏」という漢字はBuddhaという概念のためだけにあり、それを「ほとけ」と訓じたのは、執着から「ほどけた」状態を意味するからだ。

現在、麻原は獄中で正気を失い、人との会話もできず糞尿もたれながしの状態にあるという。すべての執着から彼は開放され「ほとけ」の状態になっているというのも、彼が起こした事件の凶悪性からして皮肉なことだ。

5/07/2012

ダマされる人々

久々に本の感想文をふたつ。

最初が「毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」。おもしろ人物のオンパレードである。そして「気が知れない」とはこのことだ。まず第一に、この本の著者:北原みのりはエロ雑誌編集者を経て現在女性向けアダルトグッズ販売の会社の代表をしている「コラムニスト」である。内容よりまず著者の経歴に興味がわく。いったい何がどうなって、この裁判を傍聴し、この本を執筆することになったのか。内容よりまずそっちの方が気になる。

事件の関係者のわけのわからなさといったらこれまたびっくり。初めて合って3日ほどで400万を渡してしまう男。睡眠薬をもられたかもしれないのに、もう一度もられてしまってたのかどうか確かめに再会しに行く男。逮捕直前に付き合い始めて、家の火災報知器をきれいに外されてしまっている男、などなど。木嶋佳苗のこれらの人物へのアプローチはかなりストレートだ。彼女に独特の「上手さ」があったにしろ、こんなことでころころとダマされてしまう人たちってなんなんだろう。

裁判からは、ニュースなどから受けていた「殺人事件」の陰惨な印象をまるで感じさせない。殺された被害者はどこまでも脳天気だ。というのも、被害者は自分が殺されるなどということには全く想像もせずに、幸せの絶頂のうちに亡くなっていってる。まるで殺人が流れ作業のひとつの工程として行われているようだ。殺されている側にも殺している側にも「痛み」が一切感じられない。いや、お気の毒ではあるが、被害者は別の意味で「イタい」。

著者の目線は私たちと同じように興味本位であり、その前で明らかにされていく「状況証拠」は笑いなしには人に語れない。「お前が殺してなくて、なんでこの人が死んでるんだ!」っていうくらい、状況証拠は笑っちゃうほどに説得力がある。なんでこんな女にひっかかっちゃうの? とも思うが、逆にそういうことにひっかかりやすい人をよく選別しているなぁと感心すらする。判決後も木嶋佳苗は朝日新聞の手記で自分表現に余念がないのだ。



2つ目、「もうダマされないための『科学』講義」。買ったのも読み終えたのも去年だけど。執筆者のうち菊池誠氏や片瀬久美子氏は原発事故のあとのtwitterでの発言をちらほら見ていたので興味をもった。というのも、科学とニセ科学、疑似科学についてよく発信される方々だから。

結論から言うと、科学とニセ科学、疑似科学ととは、論理的に区別するのはとても難しいということを再認識した。具体例をあげて、何が科学的で何が科学的なようでそうでないかを見分けるのはそれほど難しいことではない。ただ、一般論として抽象化された科学とニセ科学の境界線は見えてこない。

菊池氏は冒頭で科学とニセ科学の定義をあきらめてしまっている。片山氏も個別のケースについて、科学的な解説がつけられている怪しいものたちを列挙しているにすぎない。

伊勢田氏については、どんどんと新たな言葉を定義して簡単な内容をも難解にしているため、何をいいたいのかすら伝わらない。松永氏の考察は以上での思考ゲーム的で、私のtwitter上でのぼやき程度の内容にしか読めない。

結局のところ、「科学=正しい」という構図の勘違いをベースにしているので、こんな頓珍漢な内容の本が出来上がってしまうのではなかろうか。

1/08/2012

活字地金彫刻師 清水金之助さんを偲ぶ


昨年末12月26日に、ついこの前の7月に大田文化の森での実演会で、その「技」を披露してくださっていた清水金之助さんが亡くなったとの知らせがtwitter上で流れた。

子どものころから「活字」にはとても興味を持っていて、学生のころにイベントのパンフの制作をしたときなど、和文タイプやら写植レイアウトやらの作業に心躍らせていたような私だったが、「活字地金彫刻師」なんて存在、正直去年7月のこの実演を見て初めて知った。

どんな文字でも、知らない外国の文字ですら、サンプルに描かれているものがあれば頭の中にその反転画像をイメージし、下書きも無しに直接彫ってしまうその技には驚いた。同じ職場の仲間でも、こういう芸当ができる人は多くなかったというのだから、この能力は天から授かったものだったのだろう。しかも、仕事を一旦は引退し、40年ものブランクがあったにもかかわらず、そして89歳という年齢にもかかわらず、この細かい作業をやってのける。目と脳と手先の連動は「見事」という言葉だけではとても足りない。マシンだ、生けるマシンだ!

訃報に接し、ただただ残念。ここに7月の動画を掲載し、ご冥福をお祈りいたします。

↓ 清水金之助さんについて詳しくは
http://kinnosuke.exblog.jp/

ちなみに私の場合、彫刻に際して決して下書きをしなかった清水金之助さんが、本にサインしてくださる際にした下書きを持っているのが自慢。

12/06/2011

放射能汚染土は海洋底に沈めろ

こう書くと「世界につながっている海を汚すなんてゆるせない!」という感情が湧いてくるかもしれないが、まずは落ち着いて欲しい。最近、一部の理学者が真剣にこれを訴えているそうで、できればこの議論が冷静に検討されることを望んでいる。その理由をまとめてみる。

放射能は濃縮して処分するか薄めて環境に放出するか
放射能の危険を回避するには次のふたつの方法しかない。

  • 濃縮して人の生活圏から隔絶して処分する
  • 十分に薄めて環境に放出する
塵として空気中に舞い散ってしまったもの、海に流れだしてしまったものについてはもう拡散して薄まるのを待つよりほかない。一方、せっかく除染や雨により高濃度に濃縮している放射能は、そのまままとめて処分するべきで、再度環境に撒き散らすべきではない。

放射能の無害化は時間しか解決できない
核物理的な手法を取らない限り、どんな化学的、生物学的な方法を用いても放射能は各核種特有の時間を経ないかぎり減ることはない。原発で生成される放射性核種には半減期が数時間、数日のものから数万年のものまである。問題は人間の寿命よりも長い時間を経ないと十分に減ることのない放射性物質の処置だ。人の寿命どころか、社会の寿命や歴史の長さにも匹敵する半減期のものもある。
こうした放射能を長期間にわたり、人間の生活圏から隔絶させておかなくてはならない。 しかし、自分の曽祖父の名前の記憶すらおぼつかない人間が、その手の届く範疇に危険物を管理し続けることができるのか。

陸地で処分をするのは危険である
人間よりも長い寿命の放射能を、人間の手の届くところに残しておくことは、将来的に忘却され放射能に最遭遇してしまう危険性をはらんでいる。管理するにしろ、負担するコストが割りに合わない。また、日本のようにプレート境界に位置した活動の激しい場所に限らず、地表は様々な地学現象に晒されているところで、保管場所が自然災害からの影響を受ける危険性が高い。それは地中といえども同様だ。被災と同時に、放射能が人間の生活圏に戻ってきてしまうことが想定できる。

地球上で最も安定な場所が海洋底
人間の生活圏から遠く、地球上でいちばん安定している場所が太平洋などの海洋底だ。もちろん、海洋底でも地球の活動はある。例えば中央海嶺やハワイのようなホットスポットでは地下からマグマが絶えず湧き上がっているし、海溝部分では大地震も起きる。しかし、海洋底の大部分は、陸地や海の上層ほどの激しい活動はない。
海嶺で誕生した海洋底は、海溝で再び地下に沈み込むまで、数千万年から1〜2億年ものあいだ、年にせいぜい5cmほど移動するだけで、ほとんど何も起きない。 太陽光の届かない海底では、目立つ生物もろくにいない。また、大洋の真ん中では餌となるプランクトンの死骸すらもきわめて少ない。陸地の侵食でもたらされる泥の堆積すらないのだ。 海洋底では非常にゆっくりとした時間が流れている。まさに時間しか解決できない放射能を始末する場所として相応しい。

水の循環も問題ない
しかし、海水に放射能が漏れ出したら結果的に海洋汚染になるのではないかという疑念があるだろう。ところが、海洋底の水はそう短期間には循環していないのだ。 海の上層の水は太陽光や風の影響を受けて盛んに動いている。だが、海洋底の水はその影響受けず、もっと時間的、距離的スケールの大きな循環をしている。
極地で冷やされた水は重たくなり、ゆっくりと海底に沈んでいき、大洋にひろがっていく。この冷えた水は熱源がないため冷えて重たいまま上昇することがない。この水を移動させるのは、新たに生成される冷たい水の押す力くらいなので表層海流のダイナミックさに比べると、やはり時間的スケールが違う。 よって、少々の放射能漏れが生じたとしても、海産物などを通じて人間の生活圏に戻ってくることはほぼない。


陸地で起こる地殻変動や火山、洪水、地すべり、土砂崩れなど、自然災害の周期は数十年とか数百年というサイクルだ。これに比べて海洋底の様々な活動周期は、放射能処理に必要な時間を満足するに十分だ。それに海洋底は過酷な環境であるがゆえに人間の生活圏はおろか、多くの生物の生活圏からも隔絶している。

以上、どう考えても海洋底以外に放射能汚染土を処分するにふさわしい場所は思い当たらない。使用済み燃料すら、海洋底に処分した方がいいように思える。まぁ、それは原発をやめるという前提の話で、そもそも核使用済み燃料っていうのは出してはいけないゴミなので、海洋底にいくらでも捨てられるから原発続けていいということにはぜんぜんならないけどね。

11/28/2011

猫間川に内川を重ねあわせて読んだ

椋氏( @Mukunokiy )の 「猫間川をさがせ」を読んだ。Amazonで売ってないなぁと思ったら、これもともと電子ブックだったのね。

大阪の地理についてはまったく頭に入っていないので、いろいろな地名や交差点の名前など、位置関係がぜんぜん思い浮かばないままに読んで、あとでGoogle Mapを見たりした。かろうじて行ったことのある場所は「鶴橋」くらい。それでも街の中に暗渠となってすっかり人々の記憶から消えてしまった「猫間川」に、うちの近くを流れていた「内川」を重ねあわせながら読んだ。


わたしたちが子供だった1970年代、川はドブだった。わたしの父の世代、昭和初期を過ごした人たちは、きれいなせせらぎだった川がドブへと変貌していくのを目の当たりにしている。でも、わたしの世代にとっては、川は最初から汚くて臭いドブだった。内川も呑川も、多摩川でさえドブだったので、川というのは生活上はなるべく近づきたくない場所だった。

内川が暗渠化されることになったのはまさに「臭いものに蓋」、歓迎すべきことだったし、川筋はきれいに整備されて今や古木の立ち並ぶ桜並木だ。川があったことすら知らない人たちが住みつき、そこらじゅうから湧いていた水も枯れてしまった。呑川や多摩川がかなり水質改善した現状をみると、中国の事故隠しよろしく川を土の中に埋めてしまったのは間違った選択だったようにも感じる。

しかし、ドブになる前も、川は昔から人の生活の都合で流路を変えられてきたのだ。

かつて、馬込の谷あいは豊富な湧水があり、そこそこの水量の流れがあったようだが低地の高低差は非常に少ない。崖から流れでた水は一筋の流れとはならず、地下鉄車庫のある道々女木〜梅田のあたりや、今立正大学の工事をやっているあたりからオートバックスや東急ストアのあたりは広大な湿地になってたようだ。多くの住民も知らないそんな土地の記憶が、先の大地震で液状化という形で蘇ってくるのは、不謹慎ながら面白いことだ。

Google Mapで馬込のあたりを見ると、大地と低地がくっきりとわかれていたせいか、道の配置や家の並びが地形にそっているので、かつての川筋がどのようなものであったのかはおおよそ見当がつく。だが、低地のどの部分に蛇行した川の本流があったのかはわからない。川をまっすぐに護岸したあと、低地は整然と区画されてしまったからだ。

「猫間川をさがせ」を読んでからGoogle Mapで大阪の街を見たが、猫間川の流路はまったく見えて来なかった。それは大阪が馬込とちがって起伏のない全面的な低地だったからだろう。それに大阪は馬込とは比べるまでもなく、大昔から人の手の入ってきた土地だ。低地の川は簡単に流路を変更され、溢れるといって掘り下げられ、ドブ川化したときには容赦なく蓋がされた。川に蓋をするように、土地のいにしえの姿も想像ができないように埋め尽くしてしまったようだ。事故を起こした高速鉄道をその場に埋めてしまうがごとく。