3/17/2010

品川攻め

ちゃんと地図を見ないといけないもので、東京港トンネルの先、東京テレポート駅は江東区で間違いないが、お台場の手前の潮風公園と船の科学館はなんと品川区の領地だ! むむむ。

大田区のすぐとなりで、品川区は結構おいしいところを押さえている。りんかい線の駅では「天王洲」「品川シーサイド」「大井町」「大崎」を有し、大森駅からアクセスの近い大井競馬場や品川水族館で人気を博している。駅前の「大森」と名のつく西友もベルポートも品川区だ。いちばん我慢ならないのが大森貝塚が品川区に属しており、大田区領地の目の前で、大田区立郷土博物館とは比べ物にならない立派な品川歴史館を見せつけている。

江東区と同盟を結び挟み撃ちにして軍をすすめ、八潮を江東に、大井を大田に割譲してはどうだろう。しかし、南下政策をとる江東区があまり力を持つのは脅威だ。江東区は虎視眈々と羽田攻略のチャンスをうかがっているに違いないのだ。

逆に品川駅を港区から奪還するようにけしかけ、南側への守備が薄くなるのを見計らって、一気に大井を手中におさめるか。

大田区と江東区は陸続き

前回のブログで、大田区内バス乗り放題2時間210円を提案しましたが、隣接区へは280円としたところで江東区を忘れてましたよ。今や城南島のトンネルを介して江東区とはおとなりさんでした。京急バスも大森からテレコムセンターに行くやつがあるじゃぁないですか。

あれ、このバスは大田区から品川通って港区に行ってるのか。港区は大田区と隣接してないなぁ。ま、大田区外の都内へは280円としますか。もうちょっと伸ばして、国際展示場にまで行ってくれればいいのに、あそこの乗り場は都営交通がおさえちゃってるのかな。

ところで、りんかい線は大田区を避けるように品川シーサイドから大井町で急カーブして大崎に行っちゃってる。大田区より埼玉を選びやがった。学研第二ビル跡地にJR横須賀線「道々橋駅」をつくると上池上が便利だけど、川崎の武蔵小杉に先越された。上池は学研がなくなってしまって衰退が危ぶまれる。

3/14/2010

大田区バス 210運動

大田区は東急線、京急線、都営地下鉄、そしてJRの各線がなかなかいい具合に通っていて、都心へ出るのにはかなり便利な場所だ。実際、うちの最寄の西馬込駅から、新橋まで20分、渋谷まで25分、新宿に40分、上野や池袋へも1時間かかることはない。山の手線に乗るまではラッシュ時でも混雑がないので、「なんだか大田区の馬込とかださいから、横浜あたりで住むとこさがしてるんやぁ」なんて何もわかってない地方出身者の会話など聞くと、「どうせ大田区を太田区と書いてしまうようなドシロートが!」なんて心の中でせせら笑ったりして。

なのにこれが大田区内の移動となると、なんだか急に不便を感じる。うちから池上には、万福寺前のバス停から蒲田行きを待てばすんなり行ける。ところがこの蒲田行き、平日の昼間に12本しか運行してない。南の端といえども東京都内、時刻表を見てバスに乗るなんて屈辱的だ。しかも土日は運行なし。大田文化の森でバスを乗り換えるという手があるが、するとたかだか池上に出るのに420円、往復840円ということに。

ちょっと待て、うちから渋谷往復するのに浅草線と山手線乗り継いで720円だぞ。それならバスで荏原町に出て東急線なら...うん、片道360円、往復720円だ。って、なんで馬込から池上に行くのに旗の台乗り換えで雪が谷まで遠回りするんだ。

そもそも大井町線から池上線乗り換えても150円で荏原町から池上に行けるのに、同じ東急バス乗り継いでなんて420円も支払わなきゃならないんだ?ちょっと前なら、「バスだと乗り継いだ証明ができないから」って言い訳もあったろうけど、今やパスネットじゃん。

というわけで提案です。大田区内はバスでどう乗り継いでどこまで行っても3時間以内は210円にしませんか。区内で乗り継いでとなりの川崎や品川、世田谷、目黒に行く時は280円。

大田区はもはやベッドタウンから脱皮して、羽田の国際化にも合わせて観光を奨励したり、街を活気づかせていかなくちゃなりませんよ。大田区内の人の移動が便利なら、ダイシンもカドヤもユザワヤもはやりますよ。移動の要は新交通建設しなくても、バスを見直せばいいんですよ。

大田区の今のバス路線、JR東海道線を境に北は東急バス、南は京急バスにカバーされてる。路線図見ると、結構いろんな所に行けるんだけど、馬込に住んでると、区内での京急へのアクセスは不便。

東急バス 大森地区
東急バス 蒲田地区
京急バス 大森地区
京急バス 羽田地区

これ、なんとかしましょうよ。大田区の花火大会行くのに、わざわざ泉岳寺乗り換えなんてさせないでください。文化の森から平和島へのシャトルバスなんてどうですか、100円で。乗り継いでも210円なら、平和島に出ますよ、花火のときも羽田に行く時も、さらに金沢八景や横須賀に行く時も。城南島の公園でバーベーキューしてビールやワイン飲んでも帰って来れるしねぇ。泉岳寺で間違って、京急に出ちゃっても、平和島からバスで家に帰りますよ。

2/03/2010

Missing Flash on iPad

I don't think there's a much space between MacBook and iPhone which allows iPad to exist long, however, if there was, Apple is seemed to have made a great mistake in its implementation.

Does iPad deliver an excellent experience in browsing web pages without Flash?

It didn't matter, indeed, because people doesn't want to see Flash images on web pages  inside of the iPhone's small frame.  But iPad has the full-size screen to deliver the similar experience to that of PC.   People may be disappointed to see many broken pages based on Flash technology.

I agree that HTML5 is the way to go.  But it takes another couple of years to replace Flash by finishing up the specification of the protocol.   Missing Flash is making iPad's shape  blur in the market.

2/02/2010

iPhoneとMacBookの間にニッチはあるのか?

確かにあるんだろう。Webを見たり本を読むのにiPhoneでは小さすぎてMacBookでは使い勝手が悪い。しかし、そのニッチは市場セグメントして拡大するのだろうか。

「中間」は基本的に駄目だ。大型コンピューターとパソコンの間にあったミニコン、ワークステーションの市場は、いつの間にやらパソコンに食い尽くされてしまった。長らくDECやSUNが栄えたのは、ニッチが埋まるまでにだいぶ時間がかかっただけの話だ。大型コンピューターとパソコンとでは、性能差もさることながら、金額にして数百倍もの差があったのだから。

では、iPhoneとMacBookにどれほどの差があるのか? 金額的には数倍程度だ。クリエイティブなパワーが欲しい人はMacBookを買い、携帯性のあるブラウズ端末の欲しい人はiPhoneを買う。パワーも携帯性も欲しい人は両方を買うが、中間の製品は邪魔なだけだ。魅力的でも使うシチュエーションがなければ買わない。Mac G4 Cubeを買わなかったように。

1/17/2010

祖父:服部亮英の絵

馬込にまだ文士たちが集まる前から、祖父は大森・馬込の地に住み始めたようだ。三重県の千里、慈教寺の長男として生まれた祖父は、本来寺を継ぐ身だったが、東京美術学校にすすみ、文展に審査抜きで出品できるほどになったそうだ。

妻の父方の祖父母の墓が三重の魚見にあり、先般法事があったので、そのついでに祖父の実家である慈教寺に立ち寄った。慈教寺は現在、祖父の弟の子、つまり私の父の従兄弟が継いでいる。祖父の弟の服部恭寿は慈教寺を継いだだけでなく、真宗高田派の本山、専修寺の宗務総長も務めたが、昭和55年に亡くなっている。

寺には祖父が中国に渡った際に描きまとめた「長江大觀」という上下巻からなる直筆画集が残されており、それを拝見し、ビデオに収めた。もともと洋画家であったが、これは墨と水彩の作品集である。同じ内容のものが何点か存在して、当時は販売したのかもしれないが、確認できているのはこれひとつ。父も、隣りに住む叔父も実物を見たことがないとのことだった。ビデオは編集の後にYouTubeにアップしようと思う。

Yahoo!オークションで、たまに服部亮英の絵や挿絵を描いた本が出展されていることがある。

1/11/2010

自分の2009年を総括

2008年4月にIP電話の会社の役員を辞め、10月にその会社が破産となり、金銭的、精神的なダメージを引きずって始まった2009年も、あっという間に終わってしまった。ITの分野ではiPhoneが絶好調でAndroidが追随しようとするなどして、これまでの携帯電話会社による「パケット課金モデル」「コンテンツ販売モデル」が崩壊しようとしている。これはまさにIP電話会社の役員として、親会社や投資会社に説明してきた未来予想が現実化して来ているわけだが、説明を受けた側は今でも私が何を言っていたのか分かっていないのだろうな。

主張していたのは、「携帯電話会社はコンテンツ販売の利権を失い土管貸しビジネスになる」、「電話はIPアプリケーションのひとつになる」という2点だ。こんなことはちょっと考えれば自明の未来像だが、「IP電話は携帯に敵わない」くらいの低レベルな認識だから、「IPアプリケーション同士を連携させることが重要」とか言ってもなんのことだかわからない。今になって「クラウド」とか言われて、勉強しはじめたところじゃないのかね。当時その会社で開発していたのは完全にクラウドビジネスそのものだ。

まぁ、先頭立って説明しなくてはならない肝心の社長もこのことが見えてたかどうか疑問だったな。結局「いつ黒字化する」って議論に矮小化してしまった。それでも4月には人間関係にもすっかり嫌気がさして、投げ出してしまった私の力量不足は否めない。評論はできるが、実際に金を出させるまで説得するのは大変な労力で精神的に消耗するものだ。

しばらく仕事のことを忘れて、自分の創作活動に没頭して見ようと思ったところでその会社が倒産。メンタルにだいぶやられて何の気力も出なかった。その矢先に、イーキャストがアメリカ市場でデジタル・サイネージを始めるというので、2009年はデジタル・サイネージの勉強で始まった。

気がつくと日本でもデジタル・サイネージに注目が集まり始めていて、コンソーシアムもあった。そこでわかったのは、このビジネスに注目しているのは、主にテレビ広告の人々、日立やパナソニックなどメーカーの人々、そしてDoCoMoなどキャリアの人々だ。彼らがデジタル・サイネージに求めるものはテレビCMの代替。テレビCMのビジネス・モデルをそのままデジタル・サイネージに持ち込みたいのだ。
イーキャストはもともとデジタル・ジュークボックスの分野から参入したので、アプローチの仕方が異なっている。デジタル・サイネージをアプリケーションのプラットフォームとして考えようとしているのだ。ジュークボックスもアプリケーションのひとつであるし、広告もアプリケーションのひとつだ。そういう意味で、イーキャストはデジタル・サイネージをどこかiPhoneと似たメディアだと認識している。ただし、iPhoneが徹底的に個人志向なのに対して、デジタル・サイネージはロケーション志向で公共的と言える。
デジタル・サイネージを見栄えのいい看板を手軽に入れ替えできる「俺様メディア」だととらえるむきもあるが、むしろテレビの代替ととらえるよりも正しい。制作・管理の容易さから言って、デジタル・サイネージは看板界のDTPと考えてさしつかえないからだ。
しかし、デジタル・サイネージが最も革命的なのは、背後にインターネットがあることに間違いない。背後にインターネットがあるとはどういうことか。つまり世界中の看板は自分の手元にあるのと同様ということであり、コンテンツの制作に、必ずしもプロが要らないということであり、既存のインターネット・サービスのマッシュアップができるということだ。デジタル・サイネージのパワーは、実は現場にあるのではなくて、その背後にあると言っていい。
2009年、このような考えで打ち出されたデジタル・サイネージを全く見なかった。イオンがレジの上に導入したデジタル・サイネージはコマーシャルしか流さないテレビだし、新宿伊勢丹の地下鉄通路のデジタル・サイネージはだだの動く看板だ。目新しいだけで、なんの革命ももたらされていない。
11月、コムテックでDT Research社とイーキャスト社ののデジタル・サイネージを並べて展示してみた。イーキャストはなかなかいいアプローチをしていると思った。ぱっと見ただけで、見学者はタッチパネルの操作に引き込まれた。逆に言えば、客との対話型プラットフォームとしてアプリケーション開発者にも魅力的に見えるはずだ。(ただし、設置箇所がまだまだ魅力的ではない。)場所を押さえて行くことがマーケットをリードするには必須であるが、イコール、初期投資が膨大であることが最大の難関だ。



2009年、プライベートではいくつかの棚など木製品をこしらえた以外に、たとえば音楽制作などをまったくしなかった。時間があるのになぜ取り組まないのだと、自分を責めはするのだが気力がわかない。そんな中、ビデオ作品はHDにアップグレードしていくつか制作した。とはいっても、身近な題材をネタにしたものばかりなので、実は作品と言えるようなものではない。
2009年はこのブログを始めた年でもあった。最初はHackintosh関連のメモ的なものから初めて、「とにかく仕上げなくても発信する」ということを目標に初めてみた。だからタイトルはStep by step。そして9月、twitterとの出会いは結構衝撃的だった。名前は聞いたことがあったのだが、全然さわりもしなかった。知らない間にインターネットはこんなにも進んでいたとは。つづけてUSTREAMとダダ漏れを知って衝撃はさらに増した。個人がテレビ・メディアを所有できる時代になっていたとは!しかもフリー。
短い期間で色々吸収し、かつてお世話になった社長が立ち上げた新しい会社のウェブのコンサルをしてみたところ、短期間に結構いいものができた。振り返ると、2009年はたいへんな勉強の年だったようだ。