6/30/2009

仏(ホトケ)

Buddhaとは「目覚めた人」とか「悟った人」という意味のサンスクリット語だそうだ。これを音写して新たに作られた漢字が「佛」で、その省略形が「仏」だ。「仏陀」と書かなくても「仏」一文字でBuddhaを表している。

常々、この「仏」をなぜ日本で「ホトケ」と訓読みするのか不思議に思っていた。おそらくBuddhaのことを「ホトケ」と呼ぶのは日本だけだろうが、「仏」そのものがBuddhaを表すために創設された文字なら、その訓読みは和語でBuddhaを表さなければならない。広辞苑を眺めてて思いついたのだが、「ホトケ=解け」と考えると、納得できる気がする。解(ホド)けた者、すなわちReleased Oneという解釈だ。

釈迦はBuddhaであるが、Buddhaは釈迦ひとりを指さない。彼岸に到達したものすべてが仏だ。成仏とはCompletely Releasedという状態のことだ。

今日、テレビで摩訶般若波羅蜜多とは摩訶:マハー「最高の」、般若:パンニャー「知恵」、波羅蜜多:パーラミター「彼岸到達」と解説をしていた。釈迦の教えの真髄は「執着せぬこと」。色即是空、空即是色。執着を捨てることで娑婆世界から彼岸に至ることができ、魂は解放されるのだ。Meher Babaの説くdon't worry, be happyである。

思えば日々、執着ばかりだ。彼岸は三途の川を挟んで娑婆とは反対側にあるので、死ぬまでこの執着からは解放されないわけか。死なずにホトケになれるものだろうか。

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