昔、学生宿舎で1年弱の間、同じ部屋で暮らした友人が「明日はテニスの練習で早起きしなくっちゃだし、締切りのレポートも書かなくっちゃだし...」って感じの言い回しをよくしてた。群馬出身の彼の言葉は東京育ちの私にもイントネーションなどほとんど違和感ないのだが、たまに「そうだいなぁ」なんて言うので、やっぱりちょっと違うんだなと思う瞬間があった。「しなくちゃだし...」っていうのもそんな言葉使いのひとつだった。
最近、話し言葉でもTwitterでも「〜しなきゃですね」とか「〜しなくちゃだ」って表現が目立つ気がする。明らかに東京の言葉じゃない。東京では「〜しなきゃならん」とか「〜しなくちゃならない」とか、「きゃ」とか「ちゃ」がくれば必ず「ならない」が次に来るはず。もともと「〜しなくてはならない」が正式な言い回しなので、「〜しなくてはだ」なんて言い方はしないはず。
まぁ方言なら「アリ」なんだけど、昨今これが東京の言葉だと誤認識されているようで、その状況は正直ちょっと気持ち悪い。これまで、群馬の方言だと思ってたんだけど、本当のところはどうなんだろう。調べてみなきゃだ。 あっ。
10/20/2010
10/06/2010
ウジが作りだすオーガニックの肥料
ちょっと前に、株式会社緑化隊のウェブのコンサルをしてて、きれいに仕上がったしアップデートも自前でできるようになったため、しばらくご無沙汰していたところ、社長から「新商品を取り扱うことになったので、マーケティングのミーテイングに出てくれ」とのご依頼。事前に見ておくようにと言われたビデオがこちら:
ははぁ、これは社長が以前から注目していた理想的循環システムのヤツですね。
養豚場では毎日、たいへんな量の畜糞が出て、本来は産業廃棄物として有償で業者に引き取ってもらい、焼却処分するものなのだそうだ。しかし、畜糞は発酵させて堆肥にすれば有効な農業用肥料になる。ところが現在野積みは禁止。ちゃんと処理するにはプラントを作って最低4ヶ月しないと堆肥として使い物にならないのだそうだ。その間、近隣にもれる悪臭も問題になる。
一方、はるかロシアでは、将来人間を火星に送り込むために、人間の排泄物を再利用して食料を確保する仕組みをつくろうと研究がすすめられていた。そこで注目されたのが「ハエ」。ハエは世代交代が早く、幼虫の蛆は人の排泄物をあっという間に食い尽くし、体内の菌の作用で堆肥化する。その堆肥は作物を育て、蛆自身はそのまま(っていうかちょっとした加工で)食用のタンパク源となる。研究の末、ハエを完全に家畜化することにも成功し、もし外部に逃げ出しても人の手のないところでは生きることができないようにまでなったそうだ。
そして、千葉の畜産農家でこのハエと畜糞が出会うことになった。コンテナによりプラントをつくり、そこでこの家畜化されたハエをつかって畜糞を処理すると、従来4ヶ月以上かかっていた堆肥製造にわずか7日しかかからなくなった。そしてよくできているのは、蛆がサナギになろうとするときには自ら這いでてきて別の桶の中に入り込むため、堆肥と蛆を人手をかけて分別する手間がかからない。
できあがった堆肥は完全オーガニックで安全。ハエのサナギは特別の工程で茹で上げて餌にすると、これまた抗生物質を与えなくても抵抗力のある魚や鶏を育てることができるのだそうである。
なんてすばらしい!
すばらしいんだけど、登場するのが豚の糞とハエ、蛆と蛆の糞。でもって、サンプルをもらって来た。
蛆の糞だ。リサイクルされたペットボトルに入っている。蓋をあけると.... 臭い....。元気のなくなった観葉植物とか野菜とかに毎日小さなスプーン一杯分をやると、みるみる元気になり、野菜は実をつけまくるのだとか。さっそく、部屋で元気のないなんだかちっとも花の咲いてくれない草にやってみることにした。

でも、臭いので、やっぱり植えかえて土の中にこの蛆の糞を入れてみました。さて、花は咲くようになるでしょうか。
ははぁ、これは社長が以前から注目していた理想的循環システムのヤツですね。
養豚場では毎日、たいへんな量の畜糞が出て、本来は産業廃棄物として有償で業者に引き取ってもらい、焼却処分するものなのだそうだ。しかし、畜糞は発酵させて堆肥にすれば有効な農業用肥料になる。ところが現在野積みは禁止。ちゃんと処理するにはプラントを作って最低4ヶ月しないと堆肥として使い物にならないのだそうだ。その間、近隣にもれる悪臭も問題になる。
一方、はるかロシアでは、将来人間を火星に送り込むために、人間の排泄物を再利用して食料を確保する仕組みをつくろうと研究がすすめられていた。そこで注目されたのが「ハエ」。ハエは世代交代が早く、幼虫の蛆は人の排泄物をあっという間に食い尽くし、体内の菌の作用で堆肥化する。その堆肥は作物を育て、蛆自身はそのまま(っていうかちょっとした加工で)食用のタンパク源となる。研究の末、ハエを完全に家畜化することにも成功し、もし外部に逃げ出しても人の手のないところでは生きることができないようにまでなったそうだ。
そして、千葉の畜産農家でこのハエと畜糞が出会うことになった。コンテナによりプラントをつくり、そこでこの家畜化されたハエをつかって畜糞を処理すると、従来4ヶ月以上かかっていた堆肥製造にわずか7日しかかからなくなった。そしてよくできているのは、蛆がサナギになろうとするときには自ら這いでてきて別の桶の中に入り込むため、堆肥と蛆を人手をかけて分別する手間がかからない。
できあがった堆肥は完全オーガニックで安全。ハエのサナギは特別の工程で茹で上げて餌にすると、これまた抗生物質を与えなくても抵抗力のある魚や鶏を育てることができるのだそうである。
なんてすばらしい!
すばらしいんだけど、登場するのが豚の糞とハエ、蛆と蛆の糞。でもって、サンプルをもらって来た。
蛆の糞だ。リサイクルされたペットボトルに入っている。蓋をあけると.... 臭い....。元気のなくなった観葉植物とか野菜とかに毎日小さなスプーン一杯分をやると、みるみる元気になり、野菜は実をつけまくるのだとか。さっそく、部屋で元気のないなんだかちっとも花の咲いてくれない草にやってみることにした。
9/17/2010
妻がiPadに夢中
以前、iPhoneとMacBookの間にiPadが成功できるニッチがあるのか、っていう疑問を書いた。iPad発売前だ。
iPhoneとMacBookの間にニッチはあるのか?
またそれ以前にも、タッチパネルPCあるいはタブレット型PCについて過去の事例を考察して、
Appleのタブレット
にiPadの成功要因を予想してみた。まず、iPadはここで挙げた成功要因をクリアしてるのだろうか?
で、最初の疑問「iPhoneとMacBookの間にニッチはあったのか?」なんだが、Wall Street Journalの9月14日の記事によると、少なくともBestBuyにおいては「iPadはノートPCの売上の50%を食っている」とのことだ。つまり、iPadは従来ノートPCへ向いていた需要をかっさらっている。なので、去年まではカバンの中にノートPCを入れて持ち歩いてた人たちのうち50%が、そのうちにiPadだけをカバンに入れて持ち歩いていることになる。
Steve Jobsの言ってたとおり、NetBookはとても使いやすいモバイルPCではなかった。私もDell Mini 9にMac OS Xをインストールして使ってみているが、とても操作しづらい。「小さくて軽いMacがあれば便利だろう」なんて思っていた私はとんだ勘違いしてたことになる。旅行でMacBookを持って行って、車の中や宿で使ったこともあるが、この前妻のiPadを持って行ったらMacBookより格段に使いやすかった。
ところで、妻の買ったiPadは、「会社に行っても通信ができるように」とWiFi/3Gの一番高いやつを選んだ。8万円超だから、マジにノートPCなみの値段。なのに妻はそれを「重いから」という理由で会社へは持っていかず、家の中だけで使っている。もともと妻はノートPCも持ち歩いてなかったので、やっぱりiPadをノートPCの代用にしているのは間違いない。家のソファーでメールやウェブ、ツイッターをするのには、断然今までのMacBookより便利だ。
結局のところここでの結論としては、iPadの正体は、iPhoneとノートPCの中間のニッチ向けの製品ではなく、情報の"消費"に特化したノートPCの代替品だった、ということだ。
それで私はというと、iPod touchの新しいやつを購入しようかどうか迷っている最中。
iPhoneとMacBookの間にニッチはあるのか?
またそれ以前にも、タッチパネルPCあるいはタブレット型PCについて過去の事例を考察して、
Appleのタブレット
にiPadの成功要因を予想してみた。まず、iPadはここで挙げた成功要因をクリアしてるのだろうか?
- 価格が$300程度である
- iPadは$499からだ。ハードルはぜんぜんクリアできてない
- 軽くて落としてもダメージがほとんどない
- これは本隊を軽くしてカバーをつけさせることでなんとかしているかもしれない
- PCと簡単にシンクしバックアップできる
- iTunesのおかげで、MacでもPCでもシンクとバックアップは簡単
- オペレーションにストレスがない
- ここにストレスがあったらAppleじゃないといえるほどよくできてる
- いつでもどこでもインターネットから簡単に情報をとりだせる
- WiFi/3Gでほぼ完璧
で、最初の疑問「iPhoneとMacBookの間にニッチはあったのか?」なんだが、Wall Street Journalの9月14日の記事によると、少なくともBestBuyにおいては「iPadはノートPCの売上の50%を食っている」とのことだ。つまり、iPadは従来ノートPCへ向いていた需要をかっさらっている。なので、去年まではカバンの中にノートPCを入れて持ち歩いてた人たちのうち50%が、そのうちにiPadだけをカバンに入れて持ち歩いていることになる。
Steve Jobsの言ってたとおり、NetBookはとても使いやすいモバイルPCではなかった。私もDell Mini 9にMac OS Xをインストールして使ってみているが、とても操作しづらい。「小さくて軽いMacがあれば便利だろう」なんて思っていた私はとんだ勘違いしてたことになる。旅行でMacBookを持って行って、車の中や宿で使ったこともあるが、この前妻のiPadを持って行ったらMacBookより格段に使いやすかった。
ところで、妻の買ったiPadは、「会社に行っても通信ができるように」とWiFi/3Gの一番高いやつを選んだ。8万円超だから、マジにノートPCなみの値段。なのに妻はそれを「重いから」という理由で会社へは持っていかず、家の中だけで使っている。もともと妻はノートPCも持ち歩いてなかったので、やっぱりiPadをノートPCの代用にしているのは間違いない。家のソファーでメールやウェブ、ツイッターをするのには、断然今までのMacBookより便利だ。
結局のところここでの結論としては、iPadの正体は、iPhoneとノートPCの中間のニッチ向けの製品ではなく、情報の"消費"に特化したノートPCの代替品だった、ということだ。
それで私はというと、iPod touchの新しいやつを購入しようかどうか迷っている最中。
5/20/2010
テアトル銀座
今日、父から聞いた話によれば、かつて映画館のテアトル銀座に祖父:亮英が「四季」をテーマに4面の壁画を制作したのだそうだ。東京テアトル社のウェブ上の資料によれば、テアトル銀座がオープンしたのが1946年、昭和21年なので一応戦後だ。だが、その壁画は焼失してしまったとのこと。その後、同じ場所かどうかは定かでないが、シネラマ館テアトル東京が1955年にオープンしている。
祖父の描いた大きな油絵の中に、千葉の牧場の馬のいる風景画があるのだが、これが大連の駅にあったという噂があることを叔父から聞いた。
これらについて、何か写真資料はないものだろうか。
祖父の描いた大きな油絵の中に、千葉の牧場の馬のいる風景画があるのだが、これが大連の駅にあったという噂があることを叔父から聞いた。
これらについて、何か写真資料はないものだろうか。
星薬科大講堂の壁画
文士村ガイドの会の関さんから、「星薬科大に文士村の画家6人が描いたという壁画があり、見せてもらえることになった」とのメールをいただいたのが2010年5月10日。私の祖父もその6人の中のひとりだとのことで、その見学に同行させてもらった。
そもそも、星薬科大の壁画に祖父が関わっていたなどという話は聞いたことがなかったので、正直びっくりした。父に聞いてみても「なんかそんなことがあったような覚えはある」程度で、いったいどのような経緯で仕事が持ち込まれたのかもよくわからないまま、実物を鑑賞することになった。
星薬科大がそこにあるということぐらいは承知していたが、実際に近づいたこともなく、ましてやキャンパス内に入るのはもちろん初めてだ。まずは、その講堂の外観の威容に圧倒された。大正13年に建てられたとのことなので、この白いコンクリートの偉大な構築物はすでに80年を超えて現代に存在している。にもかかわらず、その構造といい質感といい、現代建築よりもよほど頑強な印象を保っている。メインテナンスの賜物とも言えるのだろうが、それにしても現役で利用されている建物としての状態の良さに驚かされる。
ドアを開けて内部に入ると、ロビーは3階までの緩やかなスロープの折り返しにより構成されていた。そしてすぐさまその壁画は目に飛び込んでくる。左右の壁面をほぼ埋めるように、並行四辺形の巨大なキャンバスの油絵が描かれている。「推古時代の鹿茸狩り」をテーマに、様々な薬草を採取する女性たちの姿だ。2階から3階にかけては、それよりもさらに大きなキャンバスに、鹿の群れやそれを追う男たちの群像が描かれていた。
詳しいことはまだよくわからないのだが、1956年に関口氏による補筆がなされていることから、おそらくは全体を関口隆嗣画伯が構成し、それにしたがって祖父を含む他の5人が筆をふるったのではなかろうか。絵は大きすぎて写真で全体をいっきに捉えることができない。この絵の迫力は実際にその場に行かなくては「体験」できないものだが、ビデオに雰囲気のみを収めておいた。
そもそも、星薬科大の壁画に祖父が関わっていたなどという話は聞いたことがなかったので、正直びっくりした。父に聞いてみても「なんかそんなことがあったような覚えはある」程度で、いったいどのような経緯で仕事が持ち込まれたのかもよくわからないまま、実物を鑑賞することになった。
星薬科大がそこにあるということぐらいは承知していたが、実際に近づいたこともなく、ましてやキャンパス内に入るのはもちろん初めてだ。まずは、その講堂の外観の威容に圧倒された。大正13年に建てられたとのことなので、この白いコンクリートの偉大な構築物はすでに80年を超えて現代に存在している。にもかかわらず、その構造といい質感といい、現代建築よりもよほど頑強な印象を保っている。メインテナンスの賜物とも言えるのだろうが、それにしても現役で利用されている建物としての状態の良さに驚かされる。
ドアを開けて内部に入ると、ロビーは3階までの緩やかなスロープの折り返しにより構成されていた。そしてすぐさまその壁画は目に飛び込んでくる。左右の壁面をほぼ埋めるように、並行四辺形の巨大なキャンバスの油絵が描かれている。「推古時代の鹿茸狩り」をテーマに、様々な薬草を採取する女性たちの姿だ。2階から3階にかけては、それよりもさらに大きなキャンバスに、鹿の群れやそれを追う男たちの群像が描かれていた。
詳しいことはまだよくわからないのだが、1956年に関口氏による補筆がなされていることから、おそらくは全体を関口隆嗣画伯が構成し、それにしたがって祖父を含む他の5人が筆をふるったのではなかろうか。絵は大きすぎて写真で全体をいっきに捉えることができない。この絵の迫力は実際にその場に行かなくては「体験」できないものだが、ビデオに雰囲気のみを収めておいた。
5/09/2010
東海道漫画紀行(原)--restored
原
燃ゆる若葉に、晩春の花を交へ、黒い屋根の間から時々立つ鯉幟りの間を砂塵を巻いて自動車は走る。原だ、原の驛だ、松蔭寺の門前に車を停めて白隠禪師の同乗を尋ねた庫裡の玄關の奥に禪師の木造がある烱々たる眼光は水晶を嵌め、この禪道に於ける彼れが偉大さを永遠に語るに足る者である。
本堂の背面に當って荆業塔がある、今は訪ふ人も少ないと見えて花も線香の灰さへも見えぬたゞ松風が折々サッと吹いて來る程の淋しさ門の側にある脊の高い松の木、これはこれはと物識りの水島が歯莖を向き出して説明して呉れた、備前侯が此の道場を訪れたとき、白隠に何か慾しい物はないかと訊ねた、此のとき白隠答へて「今庫裡ですり鉢を割って困っているそのすり鉢をお呉れ」とそのすり鉢を勿體ないと腐れかけた松の梢に冠ぶせた物とも云ひ、白隠が投げたら恰度あの梢に懸って松の腐れが防いだとか傳説は取りどりで此の鉢懸の松は何處にもよくある奴でどこまでが眞か當てにならぬ宿の外れに出た、眼界を遮るものはないが雲煙朦朧として富士の融資を見る事が出來ぬ、残り惜しいが急ぐ旅の仕様もなく、あの邊が富士の頭なんだらう、廣重が畫面に溢れて一番大きく日本一の富士を描いたのも此の邊だらう、茫々たる水田の彼方が富士の根でその上に黑い線のうねりは慥か足鷹山だらう等あやしい案内役の言葉に想像を描きつ〻走る、街道の兩側には今紫雲英の花盛り、松並木の間を呑氣さうに通る飴やは此の邊の景色には相應はしい點景人物だ。
あちこちに點在する鈴川の宿を貫きて疾走する中右に見えた富士が街道の屈曲に從って左の松並木の間に見える左富士の景はちと馬鹿々々しい、彼方よりも警笛を鳴らし乍ら時代後れの鐡道馬車がやって來た。
服部亮英
雲烟の富士=松蔭寺鉢懸松燃ゆる若葉に、晩春の花を交へ、黒い屋根の間から時々立つ鯉幟りの間を砂塵を巻いて自動車は走る。原だ、原の驛だ、松蔭寺の門前に車を停めて白隠禪師の同乗を尋ねた庫裡の玄關の奥に禪師の木造がある烱々たる眼光は水晶を嵌め、この禪道に於ける彼れが偉大さを永遠に語るに足る者である。
本堂の背面に當って荆業塔がある、今は訪ふ人も少ないと見えて花も線香の灰さへも見えぬたゞ松風が折々サッと吹いて來る程の淋しさ門の側にある脊の高い松の木、これはこれはと物識りの水島が歯莖を向き出して説明して呉れた、備前侯が此の道場を訪れたとき、白隠に何か慾しい物はないかと訊ねた、此のとき白隠答へて「今庫裡ですり鉢を割って困っているそのすり鉢をお呉れ」とそのすり鉢を勿體ないと腐れかけた松の梢に冠ぶせた物とも云ひ、白隠が投げたら恰度あの梢に懸って松の腐れが防いだとか傳説は取りどりで此の鉢懸の松は何處にもよくある奴でどこまでが眞か當てにならぬ宿の外れに出た、眼界を遮るものはないが雲煙朦朧として富士の融資を見る事が出來ぬ、残り惜しいが急ぐ旅の仕様もなく、あの邊が富士の頭なんだらう、廣重が畫面に溢れて一番大きく日本一の富士を描いたのも此の邊だらう、茫々たる水田の彼方が富士の根でその上に黑い線のうねりは慥か足鷹山だらう等あやしい案内役の言葉に想像を描きつ〻走る、街道の兩側には今紫雲英の花盛り、松並木の間を呑氣さうに通る飴やは此の邊の景色には相應はしい點景人物だ。
あちこちに點在する鈴川の宿を貫きて疾走する中右に見えた富士が街道の屈曲に從って左の松並木の間に見える左富士の景はちと馬鹿々々しい、彼方よりも警笛を鳴らし乍ら時代後れの鐡道馬車がやって來た。
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