岡本一平は、手塚治虫、田河水泡以前に日本の漫画の歴史の中で重要な役割を果たした人なんだけれども、その業績のひとつに、当時新聞雑誌で風刺漫画や似顔絵を描いていた人気画家を結集して「東京漫畫会」の設立がある。「漫画」というジャンルを確立し、需要を喚起していこうという活動だったようだが、これはおおいに注目を集めたようだ。そして、中央美術協会という民間美術団体がこれに目をつけ企画したのが、漫画家に東海道を車で旅させ、漫画による東海道五十三次をつくりあげることだった。
大正10年の5月1日、東京漫画会所属の、岡本一平、清水對岳坊、代田収一、池部鈞、下川凹天、小川治平、在田稠、森島直三、中西立頃、前川千帆、幸内純一、宍戸左行、山田みのる、近藤浩一路、細木原青起、池田永治、水島爾保布、そして私の祖父:服部亮英の計18人は、すげ笠姿で日本橋を皮切りに京都までの広重の描いた東海道を車で辿った。この企画は予め広報されていたので、一行は各地で大歓迎されたらしい。この旅でのスケッチをもとに150部限定で編纂されたのが、ここで紹介する東海道五十三次漫画絵巻 上下巻セットだ。
特筆すべきは、すべて画家自身による肉筆手描きであり同じものは存在しないということ。同じ場所を同じ画家が描いているにも関わらず、タッチの異なるもの、構図の全く異なるものがあり、ひとつひとつが非常に貴重である。長い年月のあいだに、巻物はばらばらにされて売られてしまっているものもあり、桐の箱にきちっと収まった状態で残っているものはさらに貴重だ。
先日、大田区南馬込の大田区立郷土博物館が150部制作されたもののうちのひとつを入手されたとのことで、私の父母、そして亮英のアトリエをそのままついで画家をしている叔父夫妻とともに訪問し、見せていただいた。ご対応くださった学芸員の清水様、山本様、眞坂様に感謝の意を表したい。また、郷土博物館への働きかけには、馬込文士村ガイドの会の佐藤様、関様にもご尽力いただいた。
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