9/30/2009

なぜiPhoneが?

Palm PilotがブームになったおかげでPDA市場に火がついた感があったが、記憶するかぎりそれは2年ももたなかった。ガジェット好きはWindows CEがWordやExcelまで持ち歩けることに興奮してたりしたが、多くの人にとって持ち歩いて便利なのはコンタクト・リスト程度だということがわかってしまった。

今でも、スケジューラーすら使われているのをあまり見かけない。主に使われているのはコンタクト・リストとメールの機能、そしてこれらは安価な携帯電話端末に標準搭載されてしまった。これらの機能だけで事足りない人はWindows CEやPalm搭載のスマート・フォンを求めることになるが、ブームと言えるほどのヒットにはならず、数々の携帯電話端末のバリエーションの中でのハイエンドという程度だ。

2002年、ハイエンドとしての機能を極めて、エンタープライズ向けとして市場に出てきたのがBlackBerryだ。この製品はタッチパネルPCというよりもむしろ超小型コンピューター端末で、PenPointからの流れを汲む物にはとても見えない。また、ビジネス・ユースに特化した点、入力には超小型キーボードを採用した点などから、Palm Pilotが一世を風靡したような時代を変えるイノベーションとはならなかったように思う。

Palm Pilotから10年、2007年になってiPhoneがデビューする。10年間、このセグメントに動きがなかったというわけではなく、Windows CEとPalmが覇権を争う中、Palmが脱落して行った。携帯電話は一気に普及し、アナログからデジタルへ、そして3Gでキャパ(通信速度)がぐんと大きくなる。また、カラー液晶やフラッシュ・メモリーの価格が劇的に下がっていった。

Palmが脱落していく過程で、タッチパネルのインターフェースとしての進化は進まず、逆にBlackBerryのようにキーが増えていくことになり、「文字認識機能」はもはや入力を効率化させるものではないと認知されるようになった。キー入力の方が断然効率よかったわけだ。

そんな状況下でのiPhone登場だ。驚いたことにiPhoneにはボタンがひとつしかなかった。ボタンがないどころか、ペンすらないのだ。iPhoneはPDAに再びタッチパネルを蘇らせることになった。もちろん、
  1. 胸ポケットサイズ
  2. PCとの効率的で容易なシンク/バックアップ
という点はぬかりない。価格は最初$499であったが、これも年末商戦には辛くも$400を切るところまで下げることとなった。やはりまたしても、この携帯型のタッチパネルPCというセグメントでは$300近辺の価格付けがもっとも重要だということが証明されたことになる。$500になると、やはり躊躇する値段なのだ。

しかし、iPhoneはどこがそんなにも革新的だというのだろうか。確かにマルチタッチの操作感は新しい。しかし、フリックのような操作などはPenPointですでに実装されていたものだ。画面のイメージもちょっとしたギミックがあるだけで、これまでのPDAとそれほど変っていない。むしろ踏襲している部分が多い。いったい何が、Steve Jobsをして「電話を再発明した」と言わしめるほどの革新で、人々は夢中になっているのだろう。

ふたつのポイントがあると思う。ひとつはWEB 2.0 アプリケーションを積極導入していること、もうひとつはこのハンドヘルドのタッチパネルを、ひとつの物:オブジェクトとしてインターフェースを再構築したことだ。

人がこの新しい「物」にどう対峙するのか。PenPointの場合ノートにならった。Palm Pilotの場合メモ帳にならった。しかし、iPhoneを使ってみると何か全く新しい道具に接するような感覚をおぼえる。ペンを介在させないというのも、これが人と直接インタラクトする「物』であるという感覚を助長している。わかりやすいところで、画面のスクロールがペンやマウスを介在させた場合、ウィンドウの脇のスクロール・バーを下方向に動かせば画面は上にスクロールし、上方向に動かせば下に行く。iPhoneの場合、実際に机の上に置いてある紙を指で動かすのと全く同じ作法でいい。ふたつの指で引っ張ればのびる、振れば混ざる、斜めにすれば滑る。これらのインターフェースのおかげで、ペン、マウス、ボタンといった「道具を使うための道具」とその細々とした流儀から解放されたということだ。


今日、携帯端末でのインターネットからの情報への依存度は非常に高くなっった。にも関わらず、いわゆるスマートフォンでさえも、単純に小さな画面にPC用Webページが表示できる程度のものだった。iPhoneでは最初から、人気のYouTubeや携帯して便利なGoogle Mapをブラウズするために専用アプリケーションが用意され、iTunesで音楽のダウンロード購入もできるようになっていた。これすべて背後にはWEB 2.0がある。後にサードパーティもWebサービスをぐっと使いやすくするアプリケーションを投入することになるが、iPhoneは最初に、PCブラウザーの代用ではないWeb 2.0時代における携帯アプリケーションの作り方のお手本、ネットに散らばる情報を手の中で操る方法を示したのである。

かくして、$300クラスで、小さく軽く、どこでもネットから情報収集可能、感覚的に操作できて、PCとシンクして、落としても価値ある情報が失われたりしないタッチパネルPCが、メモやアドレス・リスト程度しか使い物にならなかったPDAと、やたらとキー操作の面倒な携帯電話とが支配していたセグメントを革新し、のちにAndroid、Palm Pre(WebOS)などの追随者が登場してくるのだ。

(写真はiPod Touch。iPod TouchにはWiFIが搭載されているので、通信機能付きPDAとして便利だが、使える場所を選んでしまうのが残念。iPhoneとiPod touchはこれから携帯キャリアの通信大容量化と低価格化に圧力を加えていくことになると思う。)


9/25/2009

タッチタブレット最初の成功 Palm Pilot

Newtonのさらに3年後、1996年、モデム・メーカーのUSRobotics社からPilot、後のPalmが発売される。

私は当時、USRobotics社のコンペティターに勤めていたが、アメリカの本社に出張した際に、多くの社員の胸ポケットにこのPilotを見つけ、「これはただ事ではない」とすぐに購入した。すぐに購入したのは、なによりもすぐに購入できる金額だったからにほかならない。クレードルがついて$299、Macへの接続キットを購入しても4万円しないくらいだったと思う。

この時点で、PilotはGOやAppleが超えられたなかったハードルを、見事にクリアしていた。つまり、
  1. 安くて軽く、落としても物理的ダメージが少ない。
  2. 乾電池で長時間動作する。
  3. PCへのバックアップ/シンクが簡単。
となった。さらにもう一つ重要なポイントは、英語圏、あるいはアルファベット圏ならではのことだったのだが、画期的な入力効率化のテクノロジー:Graffitiの搭載だ。正直この発想の転換には感動した。

Graffitiは、Pilotが認識しやすいよう、アルファベットに独自の書き方を定義した入力専用書式で、最初は表を見ながらおぼつかないまでも、馴れてしまうと圧倒的に効率的に文字を、あるいは文章を入力できた。Pilotの開発者は、コンピューターに個人の書き癖を憶えさせるよりも、人間が簡単な文字を憶えた方が早いことを「発見」したのだ。

この「発見」により、Pilotは紙の手帳を超える恩恵をユーザーにもたらしてくれることになった。当時のビジネス用のパソコンはWindows 95が出た直後だったが、アメリカではWindows 3.1 for Workgroupが一般化してきており、これらのOS上で動くバックアップ用のソフトもバンドルされていた。Macintosh用のソフトもあったが、こちらは別売りだった。これらのソフトのおかげでバックアップ/シンクは非常に簡単で、Pilotは持ち歩きのできるデスクトップPCのフロント・エンドとして、会議や商談の便利なツールとなった(気がした)。

「気がした」と書いたのはほかでもない、購入した万人に本当に役立ったかどうかはやや疑問だからだ。事実、私は日本人だったということもあり、たいして役に立った記憶はない。1年後には使わなくなって、電池が切れて中のデータもパーになった。それでも、このガジェットは十分楽しめたという思いがある。

少なくとも多くの人に、実際に買って使ってみようと思わせたところにPalm Pilotの価値がある。GOのPenPointにもAppleのNewtonにもそれはなかった。

このセグメントにおいて、誰もが持ち歩くメモがデスクトップのPCと連動してくれたら、さぞや楽で便利だろうなとは思っていた。PCに入れたコンタクト・リストを手帳に一々書き写す必要もなくなるし、出先で書き込んだ予定をPCに入力し直す必要もなくなる。だが、出先で認識力の悪い入力方法でイライラしたり、高額な機械を落として壊してしまう恐怖感を持ち歩くのは勘弁願いたかった。$300というのは実に良い価格だった。Palm Pilotはその大きさ、重さ、価格、性能で、見事にコンシューマーの心に飛び込めたのだ。

Palm Pilotはその華々しいデビューにもかかわらず、長くはその地位を保てなかった。しばらくして携帯電話が普及してくると、Palm Pilotのアドバンテージは失せて行ってしまい、このセグメントは携帯電話とノートPCにより支配されることになった。面白いことに、このセグメントでのMicrosoftは常に脇役だ。Windows CEはPCとの連携でかなりのことができたが、ニッチなままだ。

NewtonがiPhoneになれなかったのは?

GO社のPenPointに続いて、業界を注目を集めたのはApple社のNewtonだった。John Sculleyの肝いりで1992年に登場した。

私はこの製品が発表されてすぐ、いったいマーケティング屋が企画する商品というのがどのくらいハイテク市場に受け入れられるのか、かなり懐疑的な目で見ていた。というのも、当時私の勤めていた会社で、マーケティング屋が「ファミコン・トレード」という商品+ネットワーク・サービスを立ち上げるも、ほとんどユーザーがつかなかったからである。

「ファミコン・トレード」の発想はおおよそ次のような理屈だ。
  1. 株式取引にはタイムリーな情報が不可欠である。
  2. トレーダーが情報を取るにはコンピューターが最も適している。
  3. ファミコンはパソコンより遥かに家庭に普及しているコンピューターである。
  4. ファミコンで株式情報提供とトレードができるシステムを提供すればターゲットの母数が大きい。
出来上がったプログラムはなかなかチャーミングで、まるでゲームのような操作感で株式情報を得ることができた。だが、結果としてこれは大コケに終わった。ゲームをするために買ったファミコンで株をやろうと思う人がいなかったのだ。その上、当時のネットワークといえば電話とモデム。テレビがあるのは居間、電話は玄関先にある状況で、ファミコンを電源につなぎ、テレビにつなぎ、電話線につなぐなんて面倒なこと、パソコン通信すらやってないオヤジどもがやるはずもなかったのだ。(今ならDSで株式トレードといっても、すんなり受け入れられる状況になり、世の中進んだものだと思う。)

「ファミコン・トレード」と同時期「プロ野球VAN」という、同じくファミコンをネットにつないで、プロ野球のリアルタイム情報をファミコンの中のキャラで再現するというのがあったが、これにいたっては「テレビやラジオの方がはやいだろう」と突っ込みたくなるようなサービスだった。

いづれも、マーケティング屋が「市場のデータはこうだから、オレはやらないがやる人はいるだろう」という発想で作られた商品/サービスだ。作っている人間でさえ、自分の家では使わないという無責任な代物だった。

私の見る限り、Newtonもやはりこの類だった。「個々人が持つ手帳を使いやすく電子化すれば、パソコンよりずっとターゲットの母数は大きい」というのがNewtonのスタート・ポイント。John Sculleyは「私が使いたいのはこういう物だ」という思い入れはどこにも感じられなかった。(実際の開発はもう少し複雑なAppleの内部的な事情がある。最初はMacintoshに替わる新しいパーソナル・メディアという発想だったらしい。しかし、カニバライズを避けた結果がPDAというセグメント設定に行き着いた。)

PenPointと同じく、あるいはファミコン・トレードと同じく、Newtonの出来映えは目をひくものだった。PenPointを引き継ぐようなUIも見られるが、Apple的なちょっとしたギミックは一度使ってみたくなるものだった。だが、引っかかったのはその大きさと価格だ。184 x 114 mmという大きさはポケットに入れるには大きすぎ、$700という価格は手帳の代わりにしては高すぎる。当時、SharpがZaurusという電子手帳でこのセグメントをリードしていたが、やはり5万円以上の金を積んでまで、手帳を電子化する意味を見出せなかった。

バッテリーの持ちも悪く、電池切れのNewtonでは手帳以下の役立たず。とても手を出す気にならない。

NewtonがPenPointと違っていたのは、その後数年にわたりAppleがプロジェクトを温存し、アップグレードを重ねたことだろう。ただし、一度もユーザーの心をとらえることができぬまま迷走した末に、Steve Jobsによって葬られた。(すでにGil Amelioの時代には見放されてはいた。)

面白いことに、Newtonに搭載されたUIやアプリケーションは現在のiPhoneに相当引き継がれている。当初、NewtonはPCやMacが過去にそうであったように、人々の仕事の仕方を劇的に変えるものとしてテクノロジーを注ぎ込んだ。にもかかわらずNewtonが成功しなかったのは、このセグメントで必要だったテクノロジー、たとえばワイヤレス通信やインターネットなどがこの当時まだ整っていなかったからと言えるのだろうか。

私はそうではないと思っている。現に3年後に出たPalm Pilotはインターネット普及前に広く市場に受け入れられたのだ。ここでもやはり、Newtonは何も日常の煩わしさから解放してくれないものだったのだ。紙の手帳に比べ、手書き認識は効率が悪く、大きくて重く、落とせば被害甚大、バッテリーの持ちは悪く、PCとのデータのシンクは面倒。はたしてNewtonを指揮したAppleのマーケティング担当は、自分でこれを買って使いたいと思っただろうか。マーケティングからはイノベーションが生まれにくいという好例だと思う。


9/24/2009

PenPointはどうして成功できなかったか

GOのPenPointが注目されてすぐに、MicrosoftがWindows for Penを発表してハードメーカーに働きかけた。まだ、MSはWindows for Penを完成させるには程遠い状態だったにもかかわらず、この理不尽なメーカーへの圧力のせいでPenPointの市場が潰された。本当にそうなのか?

「技術的に優れたものが普及するとは限らない」とは家庭用ビデオの標準戦争にからめてよく言われるが、実はWindows for Penも勝者ではない。コンシューマーはそんなものが欲しくなかった、というのが本当のところだ。

PenPointが想定したターゲットはハンドヘルド型のタッチパネルPCを持ち歩きながらデータ入力するような作業、たとえば機器の点検作業であるとか、保険の勧誘、在庫管理の作業などだ。ホワイトカラー用に、会議のメモやスケジュール、コンタクト管理にも、持ち歩きに便利なPCとなるだろうと思われた。当時のデモは今見ても魅力的だ。

だが、実際にのコンピューターを買う側には次のようなわだかまりがある。
  1. 携帯するには重くて大きい。
  2. タブレットPCは高額で、落として破損でもしたら収集したデータも含めて損害が計り知れない。
  3. 文字認識は正確さに欠けるため、ペンによる文字入力は効率性に欠ける。
  4. データのシンク作業が面倒。
受け入れられる技術は、人間を何かから解放してくれるものだ。しかし、PenPointは注目される技術でありながら、それを使うユーザーは煩わしさから解放されるどころか、心配事を増やしてしまう方向を向いていたことになる。データ入力作業の効率化を考えていたとしても、すぐさま飛びつくにはハードルが高すぎる。

すぐにユーザーがつかないということは、そのプラットフォームに対する将来の不安もつきまとってくるため、ますます導入は躊躇されるようになる。悪循環のはじまりだ。

こうして振り返ってみれば、PenPointには成功できる要素が備わっておらず、単に技術的なShowCaseでしかなかったと言える。PenPointは3年早かったと言われることもあるが、3年後でも同じ結果だったろう。しかし、ここから得られた教訓は、次の世代に引き継がれるのである。

9/23/2009

MSのマルチタッチ・タブレットのプロトタイプ


モックアップの段階だそうだが、Microsoftが取り組んでいるマルチタッチ・タブレットのプロトタイプとコンセプト・デモのビデオをGIZMODOが公開している。本当なのかどうなのかはわからないが、こういうブックタイプのタッチパネルというと、かつて注目を浴びたGO社のPenPointOSを思い出す。

Ver.1.0がリリースされたのが1992年1月とのことだが、もう少し前から発表されてたと記憶している。A4サイズ程度のタッチパネルPCをペンで操作するという、新しいパラダイムを提示して評判になった。PCの画面はノートに見立てられ、アプリケーションはタブで見出しがついたページとして表現されていた。ペンによるジェスチャーでアプリを操作し、文字認識機能もついていたので基本は手書き入力だ。

この新しいコンセプトに業界は一時的に盛り上がった。盛り上がりを見逃さなかったのがMicrosoftだ。すぐさま、Windows Penだったか、ペン入力に対応したWindowsを発表した。さてどちらのOSがこの市場の覇権を握るか、と注目され、メーカーからはいくつかのタッチバネルPCが発売されるが、結局いまいちセールスはぱっとせず、GOもAT&Tの傘下となったりしたが資金が尽きることとなる。GOのPenPointOSはとても魅力的で将来有望に思えたのだが、残念ながら生き残ることはできなかった。

ペン入力の次の仕掛人はAppleだった。1993年にKnowledge Navigatorを理想に掲げるJohn Sculleyの肝いりで市場投入され、これまた注目となった。しかし、セールスは伸びずじまい。ついには1998年にSteve Jobsの手により葬り去られることとなった。

結局、最初にペン・コンピューティングを商業的に成功させたのはUSRobosticsのPilot、後のPalmだ。GOやAppleに比べると、ぐっとスケールダウンしたハードウェアは、まともな文字認識機能も持っておらず、逆に人間がPalm Pilotに認識しやすい特殊な文字で入力するという形式だったが、これが実に効率よく、さくさくと入力ができた。皮肉なことに、機械に人間の文字を憶えさせるよりも、人間が機械に対応した方が早かったわけだ。

ワイシャツの胸ポケットに納まるサイズも、ファッション的に広く受け入れられた。発売された1996年当時、私は電子手帳とかPDAとかに全く興味がなかったのだが、アメリカ出張のとき多くの現地社員が胸にPilotを入れていたのにおどろき、あわてて購入して帰国したくらいだ。(もちろん日本語対応なしだったが。)Newtonが10万円以上したのに比べ、たしか3万〜4万円で買えたというのもヒットの理由だろう。

MSはPalm Pilotの成功を黙ってみているわけもなく、Windows CEですぐさま追随しCompaqなどから端末が発売された。しかし、競争により搭載されるアプリケーションの複雑さが増すにつれ、また、コンタクト・リストなどPDAとしての重要な機能が携帯電話に奪われてしまい、両者ともユーザーの支持を失っていく。

現在、タッチパネルPCの主役となっているのはiPhoneだ。面白いことに、iPhoneはペン入力ではない。また、今回リークされているMSのタッチパネルもペン入力ではない。コンピューターへの入力に、ペンは決して使いやすい道具でなかったということだ。タッチパネルPCに対する試行錯誤は、様々なマーケティング的示唆を与えてくれる。コンシューマーの心をとらえるというのはどういうことなのか、少し考察してみたい。

9/21/2009

Don't make a fool on China 中国をなめんな

In the TV program "Sakiyomi", it criticized that many Japanese individual's names are registered as trade marks in China and strange Japanese words are printed and seen everywhere.

Wait, wait. English is so misused in Japan, isn't it? Nikon was named after Ikon, wasn't it? How do you think "Kewpie", the name of Japanese mayo maker? There is a bakery called "Pompador"


サキヨミで、中国内で日本人の個人名が商標登録され、おかしな日本語が商品などに印刷されてたりする、ということを批判的に放送してた。

まてまて、日本の英語も相当おかしいぞ。NikonはIkonからとった名前じゃなかった? マヨネーズのキューピーはどうなんだ?
ポンパドウルなんてパン屋もあるぞ。

9/17/2009

カラオケ

外来語でちょっと思い出したけど、今や日本から世界に排出した言葉/概念で「カラオケ」があるけど、Macの国語辞書では「空オケ」ってなっているのね。全部カタカナじゃなくて。

伴奏だけで歌の入っていない録音のことを、「歌部分が空のオーケストラ」、略して「空オケ」だけど、オーケストラって外来語じゃん。Vocal Track Omitted Recording の略でVTORとかにならなくてよかったね。もしなってたら、この言葉が輸入されて「ヴィーター」なんて呼ばれたかも。

「スシ」「テリヤキ」は日本語だけど、「テンプラ」はフルで外来語。

「テリヤキ」で思い出したが、日本の鉄板焼き肉はアメリカで「ヒバチ・ステーキ」。「ヒバチ・ステーキ」って日本人が聞いたらちょっと違うもの想像しちゃうね。