私はこの製品が発表されてすぐ、いったいマーケティング屋が企画する商品というのがどのくらいハイテク市場に受け入れられるのか、かなり懐疑的な目で見ていた。というのも、当時私の勤めていた会社で、マーケティング屋が「ファミコン・トレード」という商品+ネットワーク・サービスを立ち上げるも、ほとんどユーザーがつかなかったからである。
「ファミコン・トレード」の発想はおおよそ次のような理屈だ。
- 株式取引にはタイムリーな情報が不可欠である。
- トレーダーが情報を取るにはコンピューターが最も適している。
- ファミコンはパソコンより遥かに家庭に普及しているコンピューターである。
- ファミコンで株式情報提供とトレードができるシステムを提供すればターゲットの母数が大きい。
「ファミコン・トレード」と同時期「プロ野球VAN」という、同じくファミコンをネットにつないで、プロ野球のリアルタイム情報をファミコンの中のキャラで再現するというのがあったが、これにいたっては「テレビやラジオの方がはやいだろう」と突っ込みたくなるようなサービスだった。
いづれも、マーケティング屋が「市場のデータはこうだから、オレはやらないがやる人はいるだろう」という発想で作られた商品/サービスだ。作っている人間でさえ、自分の家では使わないという無責任な代物だった。
私の見る限り、Newtonもやはりこの類だった。「個々人が持つ手帳を使いやすく電子化すれば、パソコンよりずっとターゲットの母数は大きい」というのがNewtonのスタート・ポイント。John Sculleyは「私が使いたいのはこういう物だ」という思い入れはどこにも感じられなかった。(実際の開発はもう少し複雑なAppleの内部的な事情がある。最初はMacintoshに替わる新しいパーソナル・メディアという発想だったらしい。しかし、カニバライズを避けた結果がPDAというセグメント設定に行き着いた。)
PenPointと同じく、あるいはファミコン・トレードと同じく、Newtonの出来映えは目をひくものだった。PenPointを引き継ぐようなUIも見られるが、Apple的なちょっとしたギミックは一度使ってみたくなるものだった。だが、引っかかったのはその大きさと価格だ。184 x 114 mmという大きさはポケットに入れるには大きすぎ、$700という価格は手帳の代わりにしては高すぎる。当時、SharpがZaurusという電子手帳でこのセグメントをリードしていたが、やはり5万円以上の金を積んでまで、手帳を電子化する意味を見出せなかった。
バッテリーの持ちも悪く、電池切れのNewtonでは手帳以下の役立たず。とても手を出す気にならない。
NewtonがPenPointと違っていたのは、その後数年にわたりAppleがプロジェクトを温存し、アップグレードを重ねたことだろう。ただし、一度もユーザーの心をとらえることができぬまま迷走した末に、Steve Jobsによって葬られた。(すでにGil Amelioの時代には見放されてはいた。)
面白いことに、Newtonに搭載されたUIやアプリケーションは現在のiPhoneに相当引き継がれている。当初、NewtonはPCやMacが過去にそうであったように、人々の仕事の仕方を劇的に変えるものとしてテクノロジーを注ぎ込んだ。にもかかわらずNewtonが成功しなかったのは、このセグメントで必要だったテクノロジー、たとえばワイヤレス通信やインターネットなどがこの当時まだ整っていなかったからと言えるのだろうか。
私はそうではないと思っている。現に3年後に出たPalm Pilotはインターネット普及前に広く市場に受け入れられたのだ。ここでもやはり、Newtonは何も日常の煩わしさから解放してくれないものだったのだ。紙の手帳に比べ、手書き認識は効率が悪く、大きくて重く、落とせば被害甚大、バッテリーの持ちは悪く、PCとのデータのシンクは面倒。はたしてNewtonを指揮したAppleのマーケティング担当は、自分でこれを買って使いたいと思っただろうか。マーケティングからはイノベーションが生まれにくいという好例だと思う。
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