9/25/2009

タッチタブレット最初の成功 Palm Pilot

Newtonのさらに3年後、1996年、モデム・メーカーのUSRobotics社からPilot、後のPalmが発売される。

私は当時、USRobotics社のコンペティターに勤めていたが、アメリカの本社に出張した際に、多くの社員の胸ポケットにこのPilotを見つけ、「これはただ事ではない」とすぐに購入した。すぐに購入したのは、なによりもすぐに購入できる金額だったからにほかならない。クレードルがついて$299、Macへの接続キットを購入しても4万円しないくらいだったと思う。

この時点で、PilotはGOやAppleが超えられたなかったハードルを、見事にクリアしていた。つまり、
  1. 安くて軽く、落としても物理的ダメージが少ない。
  2. 乾電池で長時間動作する。
  3. PCへのバックアップ/シンクが簡単。
となった。さらにもう一つ重要なポイントは、英語圏、あるいはアルファベット圏ならではのことだったのだが、画期的な入力効率化のテクノロジー:Graffitiの搭載だ。正直この発想の転換には感動した。

Graffitiは、Pilotが認識しやすいよう、アルファベットに独自の書き方を定義した入力専用書式で、最初は表を見ながらおぼつかないまでも、馴れてしまうと圧倒的に効率的に文字を、あるいは文章を入力できた。Pilotの開発者は、コンピューターに個人の書き癖を憶えさせるよりも、人間が簡単な文字を憶えた方が早いことを「発見」したのだ。

この「発見」により、Pilotは紙の手帳を超える恩恵をユーザーにもたらしてくれることになった。当時のビジネス用のパソコンはWindows 95が出た直後だったが、アメリカではWindows 3.1 for Workgroupが一般化してきており、これらのOS上で動くバックアップ用のソフトもバンドルされていた。Macintosh用のソフトもあったが、こちらは別売りだった。これらのソフトのおかげでバックアップ/シンクは非常に簡単で、Pilotは持ち歩きのできるデスクトップPCのフロント・エンドとして、会議や商談の便利なツールとなった(気がした)。

「気がした」と書いたのはほかでもない、購入した万人に本当に役立ったかどうかはやや疑問だからだ。事実、私は日本人だったということもあり、たいして役に立った記憶はない。1年後には使わなくなって、電池が切れて中のデータもパーになった。それでも、このガジェットは十分楽しめたという思いがある。

少なくとも多くの人に、実際に買って使ってみようと思わせたところにPalm Pilotの価値がある。GOのPenPointにもAppleのNewtonにもそれはなかった。

このセグメントにおいて、誰もが持ち歩くメモがデスクトップのPCと連動してくれたら、さぞや楽で便利だろうなとは思っていた。PCに入れたコンタクト・リストを手帳に一々書き写す必要もなくなるし、出先で書き込んだ予定をPCに入力し直す必要もなくなる。だが、出先で認識力の悪い入力方法でイライラしたり、高額な機械を落として壊してしまう恐怖感を持ち歩くのは勘弁願いたかった。$300というのは実に良い価格だった。Palm Pilotはその大きさ、重さ、価格、性能で、見事にコンシューマーの心に飛び込めたのだ。

Palm Pilotはその華々しいデビューにもかかわらず、長くはその地位を保てなかった。しばらくして携帯電話が普及してくると、Palm Pilotのアドバンテージは失せて行ってしまい、このセグメントは携帯電話とノートPCにより支配されることになった。面白いことに、このセグメントでのMicrosoftは常に脇役だ。Windows CEはPCとの連携でかなりのことができたが、ニッチなままだ。

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