3/28/2014

さよなら ドナウ川のさざなみ

人生80年という時代、写真であれなんであれ過去の記録は「あの頃」を思い出すための大切な鍵になる。できれば自分が死ぬまではとっておきたい。そこにあっていつでも取り出せると思うだけで気休めでもある。

それが、何らかの災害とかにあわなくても、もう永遠に失われてしまうことがある。それが記録メディアの劣化だ。

小学生の頃、エレクトーンを習っていた。年に1度、ガスホールで発表会があって、ガチガチに緊張してステージで演奏した。その緊張のステージの様子、今ならビデオにでも撮るのだろうが当時は主催者が手配した業者により録音され、後日ひとりひとりの分がレコードで手渡された。もちろん有料。

下手な演奏でも、永遠の記録として留められたのだと思うとうれしかった。レコード・プレーヤーの時代がとっくに過ぎ去っても、いつでも聴けるものと思ってしまってあったのだが、今日、取り出してみたところこのザマだ。



いわゆるアセテート盤、あるいはラッカー盤っていうメディア。コーティングされたアルミの円盤の上に溝を彫り込んで録音するやつ。剥離してバラバラ。たぶんテープの方が長持ちだった。

さよなら、ドナウ川のさざなみ。