12/31/2016

2016年は三味線三昧だった

総括を先に言えば、年頭に始めたことが、年末にDVDというひとつの作品に結実、まさにリア充の1年であった。

昨年末、浅草の料亭で芸者遊び体験してから、「これはやはり三味線弾けるようになりたい」と思い、オークションで3500円で中古の長竿三味線を落札。破けた革を、大森の石村屋さんというタバコ屋にしか見えない三味線屋で4万円(!)かけて修理した。

私なんかは、三味線はじめようにもいきなりどこぞのお師匠さんの門をたたくなんてハードルの高いことはできず、ギターの延長でちょこっと小唄なんぞが弾けるようになりたい程度の気持ちだ。Amazonで教則本も買ってみたけど、やはり基礎はちゃんと教わらないとどうにもならない。「大田区 三味線 稽古 教室」などのキーワードでネット検索しても、あまりヒットするものがない。(このあたりの事情については多々思うところがあるので、また別の機会に書こうかな。)

さて、タバコ屋にしか見えない三味線石村屋のご主人は「多くの子どもたちに三味線に触れる機会をつくっていきたい」と、大田区の子供向けイベントに参加した区内の小中学生をさそって、月2回の三味線教室をひらいている。短期的にまったく商売にならないのに、一生懸命文化貢献をなさっている奇特な方である。これ幸いということで、その三味線教室にまぜていただくことにした。

2月から月2回のペースで小中学生の諸先輩にまざってお稽古をしてきたのだが、自分流で長年やってるギターとはまったく勝手が違う。用語も違う。たとえば、ギターは下から1弦、2弦、3弦...というが、三味線は逆で上から1の糸、2の糸、3の糸という。そもそも「弦」と言わない。糸を押さえる指の上がる下がるも逆の意味になる(低い音の方に指を移動するのが「上がる」)。同じ弦楽器でこうも違うのか。こんなところからまず戸惑う。

教えてくださったのは、民謡三味線の藤本流師範、秀三輪先生。南大井でたくさんのお弟子さんを持つ一流の方である。大森山王には石村屋さんの依頼で出張で教えにきてくださってる。三味線の持ち方構え方をレクチャーされるや、いきなり「黒田節」を弾いてみろという。見よう見まねで弾いてみると「おお、できたできた、うまいうまい」とおっしゃる。褒め上手だ。本当は全然できてない。

秀三輪先生の社中では何年かごとにホールにお客を招いての発表会をしているそうで、ちょうど今年の10月に、大井町きゅりあん小ホールで5年ぶりの発表会が予定されていた。始めて半年、ようやく数曲弾けるようになった段階で、私もそのステージに紛れ込ませていただけるということになった。へたっぴのくせにずうずうしい。

音楽・映像分野には少々経験があるので、記録係も買って出て本番を迎えることとなった。とにかく民謡とか三味線とかの世界はまったくわからず、シキタリも知らない中、53歳にして色々と新鮮な体験をさせてもらった。

発表会後の2ヶ月は、撮影した映像と録音を編集してDVDに仕上げる作業に没頭することとなった。なんとかクリスマスの日にリリースが間に合い、実費4800円で販売した。手前味噌だが出来栄えはかなりいいと思う。少なくとも、秀三輪社中過去最高のライブ記録に仕上がったはずだ。DVD-Rじゃなくて、ちゃんと工場でプレスした本格的なDVD。コンテンツの合計3時間におよぶ音楽ライブ作品のポスプロは私も初めてだったので、納品されるまでは心が休まらなかった。今、大晦日を迎えた段階でへとへとだ。

そんなこんなの三味線三昧。でも、ま、2016年はトータルでいい1年だったよ。

12/30/2016

"KB2267602"でWindows Updateが止まる

いろいろ奇怪である、Windows10になってもあいかわらず。

年末になると年賀状のために筆王を使うため、おおよそ普段使ってないWindowsを起動する。普段使ってないと蓄積しているのがアップデート。これにしばらく時間を使うのも毎度のことなんで、そこは慣れっこなんだが、こういう時にエラーが発覚するのも困ったものだ。

なんと10月以来立ち上げてなかったんでさぞかしアップデートに時間がかかるだろうと思っていたら、なんと何もインストールされない。シャットダウン時におなじみの「電源をきらないで...」ってメッセージもなし。で、コントロールパネルからWindows Updateのステータスを確認したら、「更新プログラムを利用できます」「更新プログラムをダウンロードしてます。0%」と出て何も動いている様子がない。なんか、たまにちらほらと、「Windows Defender」だの「KB2267602」だのって表示が出るだけ。

普通、すべて自動更新が上手くいっていたなら表示されているはずの「更新プログラムのチェック」ボタンすら現れない。10月にアップデートして以来立ち上げてなかったのだから、アップデートが何もないはずはない。「最新の更新プログラムに関する情報をお探しですか? → 詳細情報」からたどったMSのサイトでもいくつかあるのを確認した。

そこで、リストされた中から最新バージョンのアップデータをダウンロードして累積的アップデートを手動で実施した。(記事中のリンクをたどると、「Microsoft Updateカタログ」ってサイトからインストーラーがダウンロードできる。)

とりあえず、Windows10は最新になったようだが、まだ「KB2267602」のエラーは残っているようだ。

調べて行き着いたのがこちらの記事:http://kalikan.hateblo.jp/entry/2015/11/28/233000

記事を参考に、コントロールパネルの「ネットワークとインターネット」→「状態」→「Windowsファイアウォール」と進み、「既定値に戻す」を実行してみると、どうやら問題は解消。

7/19/2016

またも強敵!

都知事選の話ではなくて、ウチの庭にやってくる敵のこと。やぶ蚊をデミリンで撃退したのもつかの間、今年もこいつがやってきた。ホオズキカメムシ。育ってきた唐辛子や朝顔に群れでたかって茎から汁を吸いやがる。 

もともと、春先からアブラムシ対策にオルトランを撒いたりしてきたのだが、それをものともせずにこのカメムシは突如団体でやってくる。朝顔がなんかしおれているな、と思って水をかけてみたらこいつらがうようよ出てきた。とりあえず、キンチョールで退治したのだが、翌日にはまたいくつかついてる。

カメムシにはオルトラン(アセフェート)の効果が薄いようで、どうやらネオニコチノイドという化学物質が有効らしい。キンチョールのようなピレスロイド系、スミチオンのようなフェニトロチン系の薬剤は即効性はあるものの、駆除したさきから次々と飛来されるんじゃきりがない。そこいくとネオニコチノイドは植物体内にしぱらく残留するので良さそうだ。

ネオニコチノイドといえばミツバチの大量死の原因になった物質で悪名高いが、広域に撒くわけではないのでそこは目をつぶる。ネオニコチノイド以外にこいつらを退治できる有効な薬あるのかな。

「ベニカ水溶剤」や「ベニカベジフルスプレー」っていうクロチアニジン成分の商品がおすすめと書いてあったが、以前買った「ベニカXファインスプレー」っていうのにもクロチアニジンが入ってる。でも、この商品の説明にはカメムシが対象になってない。化学物質に違いはないだろうから、今朝、ベニカXファインスプレーを朝顔や唐辛子にかけておいた。 

午後に確認してみたら、まわりに死骸がころがっていたので効果はあったみたい。でもまだ生きているのがいる。新しくやって来たやつかな。茎に吸い付いたら死ぬのかもしれない。しばらく様子見だ。



Geisha distinctissima aobahagoromo j.JPG
Geisha distinctissima aobahagoromo.JPG
ちなみに、いろいろ調べていたら、よくバラやサザンカなんかについている白い綿状の虫、あれ、アブラムシの一種かと思っていたらカメムシの仲間なんだって。そんで、変な形の白い蛾と思っていたのはその成虫。アオバハゴロモっていうものだそうで、こいつらにもネオニコチノイドが効くそうだ。(アオバハゴロモの写真はWikipediaより)

7/04/2016

馬込の凶暴なやぶ蚊との戦い

ウチはやぶ蚊の産地?


夏場、ウチにはやぶ蚊が多い。凶暴で、しかも数が尋常じゃない。ちょっと外に出ただけで、ぶわーっと寄ってきてあっという間に血を吸われる。貧血になるくらいだ。

そもそも、ウチの裏は江戸時代からの墓地だ。まだ馬込一帯が農地だった頃、地元の有力一族だった家が畑の一角につくった墓地で、今でもゆかりの方がお墓参りにみえる。墓地といえば花入れや水入れはつきもの。そこに梅雨に水がたまればボウフラの格好の孵卵器となる。

馬込はもともと湧水のたくさんある土地だった。四、五十年前、このあたりの畑のわきにはどこも水が流れていて、ザリガニやらヤゴやら、いろんな生物がいたものだ。しかし、そういう場所にはボウフラの天敵もうじゃうじゃいるので、そんなに蚊は発生しない。しかし、裏の墓のちょっとした水たまりはボウフラ天国で、たっぷり栄養をとって立派に凶暴なやぶ蚊となる。

そんなわけで、ウチにやぶ蚊が多いのはもう昔からなので、これは避けがたいこと、せいぜい外で蚊取り線香でも炊くしかないぐらいに思ってた。


昔よりやぶ蚊多くねぇか?


でも、ちょっと多すぎないか、やぶ蚊? 子どものころ、いくらなんでもこんなに刺されまくってたっけ? と、去年ふと疑問に思った。確か、夏でも庭に出てよく遊んでたし、その当時、蚊よけスプレーとかなくても大丈夫だったぞ。

よくよく観察してみると、裏の墓の水たまりは夏の間カラッカラに乾いている。近所の樋が詰まってるのか? いや、それもカラッカラだ。まわりに水たまりらしきものがない。

いや、あった! 道路の排水舛だ。いつでも水がたまってる。そういえば、下水管が整備される前、このあたりに側溝、つまりドブはあったが水がたまっていることはなかった。なるほど、こいつが発生源だったわけだ。こういうところにはトンボが入れないからヤゴはいないし、当然魚もいない。ボウフラ天国じゃないか。


殲滅作戦を考える


出てきた蚊を退治するのはきりがない。やつらの生息範囲すべてにキンチョールを撒くわけにはいかないし、おそらくはエアゾールが届かない。とにかくボウフラのうちにやっつけるのが有効なので、そういう殺虫剤を調べてみた。

ありました。「デミリン発泡錠」。こいつは昆虫が幼虫の頃、脱皮して成長するのを阻害する薬で、しかも鳥、動物、魚にはほぼ無毒だという。昆虫とか脱皮するやつらにしか効かないので、鳥が薬剤入の水を飲んでも中毒になってしまうということがないからそこら中の水たまりにも撒ける。流れのないところでは1ヶ月以上効き目があるらしい。

これはいい! すぐさま購入だ! ちょっとお高い。いや、高くない! 人類の敵を殲滅できるのだ!

一点だけ疑念がある。記載されている害虫がチョウバエとユスリカだけだ。やぶ蚊が対象になってない。いやいや、やぶ蚊だって脱皮するでしょ。迷うよりは実践だ。


作戦実行


さてこの錠剤、一箇所にだけ使っても意味が無い。発生源となっている一帯で撒かなくては。果たして、やぶ蚊はどのくらいの距離を移動してきてウチの茂みに潜んでいるんだろう。とりあえず、ウチのブロックを取り囲む道路にある排水桝に錠剤を投げ込んでおいてみよう。

ほんの1ブロックといっても、ぐるっとまわると結構ある。排水桝は道の両側にあるんで、20箇所以上に1錠ずつ放り込んでみた。これが4月下旬。毎年、だいたいゴールデンウィーク明けくらいが蚊のシーズンのはじまりだからだ。

戦果は...


なんと、驚くほどの成果! 毎年あれほどうようよといて、集団で人を襲ってきたやぶ蚊がほんの少ししかいない。今年、たまたま出現するのが遅いのではないかとも思ったが、7月上旬の今でも明らかに少ないのだ。もちろん、梅雨にも入ったので近くの排水桝には何回か、そして梅雨の晴れ間にまた1ブロックをぐるっとまわって錠剤を入れてまわった結果である。

やぶ蚊に勝利した! ついに圧倒的な数で住民を脅かしていた、あの凶暴なやぶ蚊に勝ったんだ!

正直これほどまでに効果があるとは思わなかった。すごいぞデミリン。愛おしくなってきたので「デミりん」と呼びかけたいくらいだ。そのまんまだ。

これはぜひ町会で馬込中の排水桝に撒いてほしい。そう、1ヶ月に1回でいい、火の用心の見回り(なんかこのあたりは夏でもやってる)の時に、デミリン持ってあるいて排水桝に投げ入れていけば、馬込からやぶ蚊を殲滅できる気がする。


ちなみに、ボウフラを漢字で書くと孑孒

もうひとつちなみに、こいつ→は若干たよりないぞ。

7/01/2016

大森のMEGAドンキに行ってみた

1962年からそこにずっとあったダイシン百貨店が5月に閉店し、しかも6月下旬からはドン・キホーテになるというニュースは、大森地区の住民にとしては「Wの悲劇」に思えた。古くからの住民にとってダイシンでの買い物は日常であったし、その品揃えが食卓のメニューのベースでもあった。特に私とダイシンは同い年、ほぼダイシンの食材で身体ができているといっていい。

そのダイシン、バブル後に複数店舗化してからは食品以外の売り場がみるみる活気がなくなっていた。そして建築業界出身の社長に交代してから店舗をいっきに縮小し、なんとか下町百貨店として回復、2012年には建物をリニューアルした。メディアにもどんどん露出してたが、実際には2階、3階の売り場はいつもガラガラで、店員は「接客以外に重要な仕事があるのか」ってくらいに客を無視しているような状態、これはひどいなぁという感じだった。近くにオオゼキやらまいばすけっとやらがオープンして、唯一、人が入っていた食品売場の売り上げも落ちて行き詰ったらしい。

「悲劇」である。

そして、いつのまにやらドンキが経営権を握り、ついにかの閑静な大森の地に驚安の殿堂の看板が登場するに至った。ドンキといえばヤンキー。どちらかというと大森でも線路の向こう側のイメージである。

「Wの悲劇」である

これはいったいどんなことになるのだろう。ドンキが出店するも客層が違って業績振るわず、すぐさま撤退なんてことも考えられる。それじゃますます困る。駅前の京成/ヨーカ堂の跡地ビルのようなことになったら、大森がますますすさむ。

そんな心配な日々を経て、昨日大森山王のMEGAドン・キホーテがオープンとなった。

Twitterとかの評判は...、うーん悪くない。「食品売り場はほぼダイシン」とまで言っている人もいる。どうなんだろう。気になるのでさっそく今日出かけてみた。

ジャーマン通りを右にまがって、大森駅方面からダイシンに向かう。渋滞はしてない。でた、下品な黄色の文字の看板。駐車場は...、お、きれいになってる。ハトのフンもない。4階に停めてまずは2階に行った。

おおぉぉ、これは完全にドンキだ! ダイシンの頃は全体が見渡せたフロアが窮屈に商品が棚に積み上げられて目の前しか見えない。かつての書籍コーナーは文房具売場。この物量! 種類! 売る気がみなぎっている。奥には仏壇コーナーも。以前よりコンパクトになったが、やる気を感じる。見本の線香をただでくれた。

DoItもコンパクトに、店員の目がいきとどくように物が配置されている。次に衣料品。こ、これは、龍の柄のシャツ、誰が買うんだ? 見事にヤンキーのセンスのものが並んでいる。老人用のものが見当たらないし、買いたくなるデザインのものがない。ただ、売る気だけは感じる。店員も元気で、かつてのやる気が微塵も感じられない、ただ商品が並べてあるだけのダイシンからはかけ離れたエネルギーを感じる。

いや、昭和のダイシンは田舎臭さまんてんであったが、こういうエネルギーはあったなぁと、どこか懐かしさも感じたりした。田舎臭さがヤンキー臭さになって戻ってきたっていう感じだ。

今日のところは偵察なんで、2階はこのくらいにして何も買わず1階に。

エスカレーター下は、閉店前と同じく果物・野菜売り場。そして肉、魚と続くところは確かにほぼダイシン。だが、やや品揃えが違う。肉はメガ盛りが目立つ売り方をしている。あれ? 赤身の豚ひきがない。油揚げの「味わい亭」がない。十穀米がない。ちょっと戸惑ったがけっこう安くていいかも。うわー、お菓子の充実がはんぱない。酒コーナーもやる気出してる。

ひととおり店内をめぐって食料品を購入して思った。「小売とはこういうもんだ!」まぁオープン2日目ということもあるだろうが、店内は商品を売るぞという気迫に満ちていた。考えてみればダイシンを倒産から救った前の社長は建築家だ。それに比べてドンキは不況時代に成功を重ねてきた小売のプロである。もう、あきらかに売り場づくりのノウハウが違う。総合的にみると、なかなかいい進化を遂げたのではないだろうか。受け取ったレシートには(株)ダイシン百貨店と出てる。昭和のダイシンのパワーが戻ったんじゃないの。

ちょっと見なおしたぞ、ドンキ!

いや、ただね、あの看板と売ってる服のセンスはどうかと思うよ。


6/22/2016

「プレートテクトニクスの拒絶と受容」を読んだ

プレートテクトニクス、あるいは大陸移動説、マントル対流といった用語は、1982年に大学入学した私などの世代にとっても、地球科学の基本的概念としてよく知られた言葉だ。小学生高学年のころに大流行した小松左京の「日本沈没」のおかげで、東大地球物理学教授の竹内均の名前とともに世間一般に知られるようになり、私たちが大学で地球科学を学びたいと思うきっかけにもなったものだ。

ところが当の大学の地質学教室では、「プレートテクトニクスはまだ確定した理論ではない」として、古い「地向斜造山論」が80年代半ばまでまかり通っていたというのだ。世界の地球科学の学者間で、プレートテクトニクス理論がスムーズに受け入れられたのとは対照的に、日本でのパラダイムシフトが遅れた原因として「地団研」の存在があったと、泊次郎「プレートテクトニクスの拒絶と受容」は指摘している。私はこの本を読んで、当時の地質学をめぐる環境についてどれだけ無知であったかを知り、また、科学者が合理性から逸脱して血迷ってしまう要因についても考えさせられた。

地団研:地学団体研究会とは、学会であり活動体でもある。目指したのは「科学の民主化」であり、「民主化」とは「レーニン・マルクス主義、あるいはスターリン主義」に基づく、プロレタリアに牛耳られた研究組織からの開放であり、強力なリーダーの統率による団体研究の達成である。この団体の活動には功罪があり、研究費予算の配分、日本列島の効率的な地質研究、学校教育における地学の普及などに成果をあげた反面、地質学研究に関して鎖国的な対応とこの著者の言うところの歴史法則主義への固執という負の側面があった。

プレートテクトニクスの概念が誕生する前、海底の堆積物がアルプスやヒマラヤのような高所にまで押し上げられる原動力は謎であった。そこで提唱されていたのが「地向斜モデル」と「地球収縮説」だ。大陸のヘリにくぼみができ十分な堆積物が溜まる。ある時期に地球が冷えて収縮すると、地球表面にはシワがよって堆積物が山となって盛り上がる、という説である。現代の地球科学において(これは私が学生だった1982年頃でさえすでにそうであったはずだが)、「現在地球で起きていることは過去にも起きていたことであり、過去に起きたことは現在も引続き起こることである」という考え方が基本スタンスになっている。ところが、「歴史法則主義」はそのように考えない。地球は歴史を積んで現在に至っているのであり、事象は「始まりがあり、継続期間があり、そして終息する」というスタンスをとる。歴史法則的観点から解釈すれば、堆積物は長い期間地向斜が沈降しながら厚みを増やし、地球規模で造山活動が始まると隆起し、やがてその活動が終わると侵食されていくというサイクルを想定した。地団研では日本列島の地史を組み立てるにあたって、地向斜は花崗岩の浮力により独自に隆起するというモデルを用いてはいたが、「アルプス造山運動」という用語もしばしば見受けられ、地球規模の造山活動という観点は捨てられなかったようだ。そして現在見られる高い山は、古生代や中生代に起きた過去の造山運動の遺物であると考えるのだ。

確かに高校までの教科書にはこのようなことが書いてあったような気がする。そして、火山についても「活火山」「休火山」「死火山」というような区別をしていた。これも始まりがあり、継続期間があり、終りがある、という歴史法則的な見方と言える。

実際にはそうじゃない。高い山は現在も隆起しているから高い。火山として形をなしているものは現在も活動中だ。その現実を見事に説明できたのがプレートテクトニクスのモデルであり、1960年代の半ばには世界中で受け入れられ始め、そのモデルに基いてさまざまな検証がなされてきた。驚くべきはこの新しいパラダイムに対する地団研のとってきた態度だ。なんと1980年代も半ばとなるまで、かたくなに独自に発展した地向斜造山論に固執し続けたのだ。

私が高校生のころに読んだ「野尻湖の発掘」「化石」「日本列島」などの著者、井尻正二や湊正雄、大学受験の地学の参考書の著者、牛来正夫は、いずれも地団研の大御所だ。特に牛来先生は東京教育大学の岩石学の教授だった。東教大が筑波移転となる際、牛来先生は移転を拒んだらしい。もっとも東教大の筑波移転は、左翼にとって当局による不当国家権力行使だったので拒むのも無理からぬことだが、そのおかげで私は地団研と系統の異なる、東大系統の岩石学の教育を受けることとなった。牛来先生は初源マグマの結晶分化モデルにも疑問を持っておられたようだし、その後「地球膨張説」など唱えていたそうで、それを思うと私は学問的に幸いだった。

しかし、何が科学者の目をここまで曇らせるのだろう。プレートテクトニクス以前、地向斜造山論はきわめて論理的に説得力のある説であり、それに基いて日本の地質や地史を読み解くは先端であり合理的だったのは間違いない。しかし、一旦それで体系が仕上がってしまうと、新しいもっと合理的なパラダイムが登場した際に破棄できなくなってしまうのは純粋に心情的な側面に見える。そしてその心情的な部分を後押しするのが「思想」なのだろう。地団研の場合、マルクス・レーニン主義、あるいはスターリン主義がそれだ。(やがてその左翼思想もソ連の崩壊とともに瓦解することになるが。) 自然科学は合理性を求めるものだが、人間はなかなかそうはいかない。左翼思想も戦後においては先端思想であり、東京でも革新都知事の時代があった。人の生き方に直結する分、若いころに染まった思想はなかなか捨てられない。これが老害だ。組織は人が作るもの。組織が育つにつれて古い人は権威となり、そして組織は老害によって合理性を失って行く。自然科学といえども研究をする主体が人間であるかぎり、その人間性の束縛から逃れられないということだ。

ところで、私が地球科学を学びたいと思ったきっかけになったのは「日本沈没」だけではない。それよりももっと前に父が与えてくれた一冊の絵本、バートンの「せいめいのれきし」との出会いが大きい。宇宙、太陽系、地球の誕生から、様々な生きものが地球上に現れては消え、そして人類の時代になり、自分の祖先から現在の「私」の生活に至る壮大な物語だ。1962年に初版となるこの絵本、実は地球収縮説で山のでき方が説明されていた。私の生まれた年だ。いしいももこの訳で日本で出版されたのが1964年。この時点でプレートテクトニクスはようやく有力なモデルとして一部の注目を集めるようになった。そして10年そこそこのうちに小松左京が日本沈没を書くことになる。急激なパラダイム・シフトだったわけだ。それと同時期に、日本の地質学者は地向斜造山論に基いく日本の地史の集大成を作り上げていたのだと思うと、人間のいとなみの虚しさすら感じる。

ちなみに、昨年、「せいめいのれきし」は最新の地球科学の学説を(ようやく)取り入れて改訂版が出版された。原著はとっくのむかしに(おそらく1990年代に)改訂されてたので、こんなところでも日本はプレートテクトニクスの受容が遅れてしまってた。ようやくの改訂がうれしくて、親戚や知り合いの子供に贈った。この本をきっかけに、地球科学に興味をいだいてくれると嬉しいな。

1/28/2016

El Capitanにしたらログイン後に面倒なことを言われる

たいていOSをアップデートすると動かなくなるアプリやらドライバーやらが出てきて面倒なものだが、メインのMac Pro をYosemiteからEl Capitanにしたら、やっぱりログインのたびに変なアラートが出るようになった。

最初は「SXUPTP.kextが古くて互換性がない」っていうメッセージ。「どうしなさい」という指示を出さないので自分でなんとかするしかない。

/System/Library/Extension の中に当該ファイルは発見したが、これがなんのドライバーなのかわからない。ググってみたら出所情報がズバリ書かれてはいなかったが、どうやらsilexのUSBをネットシェアするアダプターのドライバーらしいことが分かった。silexのサイト見たらまだ対応してないらしいので、単純にゴミ箱に入れた。

もうひとつがこれ。「"CS4ServiceManager"を開くには」って言われても、もともと開くつもりはないっつーの。まぁ、CS4というのはAdobeのやつだなというのは察しがついたが、今まではこんなものがバックで自動で動いてたのか。もはやCreative Cloudの時代にCS4は2世代前のものなので、ぜひとも退治しておきたいと思うのだが、こいつどこにいるの?

調べてみたら、/Library/LaunchAgents の中に"com.adobe.CS4ServiceManager.plist"っていうのがあって、こいつがCS4ServiceManagerを起動させようとしているということがわかった。まずはこのファイルをゴミ箱へ。そして、CS4ServiceManager本体は、/Library/Application Support/Adobe の中にあるのがこのplistの記述でわかったので、そのフォルダーを探ってみたら、なんだかAdobeの歴代のソフトの残骸がたくさんあった。

どうしていいかわからなかったけど、とりあえず"CS4ServiceManager"フォルダーはまるごとゴミ箱に入れた。他のものには手をつけなかったけど、使いもしないアプリがバックグラウンドで動いていたら嫌だな。でもそれを探りだすのもまた面倒。

とにかくこれで、一応面倒なことを言ってくるものの退治は終わり。

ところで、OS Xには"Library"というディレクトリーが3箇所にあって紛らわしい。

/Library
/System/Library
/User/{user name}/Library

そして、Finderでの検索範囲を「このMac」のままにしていると、Library配下のファイルは見つけてこないみたいだ。